アニメの感想 第2、3話 ~ゾイドとの絆、デスメタル側の正義~

こちらのコラムに続いて2、3話の感想です。

 

さて大興奮だった第1話は、アラシがワイルドライガーと絆を結び究極の人機一体技「ワイルドブラスト」を発動するところまでが描かれました。
今回は2、3話について感想を書きますが、その前に1話についてもう少し補足……。

1話を改めて見返すと、パイロットの描写について幾つか感想を追加したいと思いました。
ゾイドワイルドでは、パイロットは「ライダー」と呼ばれます。乗馬の様にゾイドにまたがるのが基本。
その理由として、下のように提示されています。

「"人とゾイドの絆"をより強く描くため、人とゾイドの顔が常に近くなることを意識しました」
これはゾイドワイルド発表時(2/27)に発表されたニュースリリースです(→全文 ※外部リンク)

正直に言うと、この文章を最初に見た時は懐疑的なものも感じていました。
ゾイドとの絆というとアーバインやビットが思い浮かびます。
彼らとその愛機にはまさに信頼が強くありました。だから「従来型のコックピットでも十分に表現できると思うんだけどなぁ」とは思ったのでした。
その点について言うと、一話を見て「なるほど!!」と思いました。


ライダー形式でまがたって乗る。ゾイドも小型。
だからゾイドの動きにあわせてライダーも揺れるとか。ゾイドに直接語りかけながら戦っているとか。そんな事がダイレクトに超強く伝わってきます。
「"人とゾイドの絆"をより強く描くため、人とゾイドの顔が常に近くなることを意識しました」との言葉はまさにその通りでした。

従来作でも絆はもちろん強く表現されていました。それは確かです。
でもライダー形式・むき出しの姿は、コックピット内を写すよりもストレートに直感的に伝わります。

ゾイドワイルドは様々な点で従来作から極めて大胆な変更をしています。
あまりにも大胆な変更だから、最初はギョッとしてしまう事もあります。
でも、最初はギョッとしてしまうけど注意深く見れば本当に大切な部分が大切に守られている。
だから今作は凄いと思います。この事はこちらのコラム(大胆に変更された要素のこと)でも書きました。

あとライダー形式には、もう一つの事も思いました。
ゾイドアニメは機体は3DCGで描写されます。一方で人は手描きの作画です。
そして今作はライダー形式。常に見えています。
これが何を意味するかと言うと、「ゾイドの角度にあわせて人を常に描かねばならない」という事です。

これは本当に大変な作業です。
今までのシリーズだと、キャノピー式であってもオレンジで塗りつぶして置けば良かった。メカを写す時は人を描く必要がなかった。
また人を写す時はコックピット内部だけ描けば良かった。
つまりメカはメカだけ3DCGで処理・人は人だけ手描きで作画という分離作業ができた。


対して、ゾイドワイルドは3DCGと手描きを常に融合させなければならない。
その苦労は想像に難くありません。
「絆を強く描く」という強い目的があった。そうはいっても、よくぞ製作の苦労を受け入れたなぁと思います。
そんなわけで、見る時はアニメーターの方々に深く感謝しつつ見たいものです。

 

さて、いいかげん2、3話の感想を書きましょう。

第2話「襲来!デスメタル」 第3話「目覚めよ!ゾイド王の誇り」

2話はアラシとワイルドライガーの絆をもう一段階深く描く回でした。
1話でアラシを受け入れたワイルドライガー。究極の絆が発動させる必殺技「ワイルドブラスト」も放たれた。なのでアッサリ愛機になるかと思いきや、そうはいかなかった。
突如としてワイルドライガーに拒絶されるアラシ。絆を取り戻すにはどうすればいいのか?
こういう波乱があったのは意外でした。
しかしとても丁寧にゾイドとは何なのかを描いている感じがして好感でもあります。

ワイルドライガーに拒絶されたアラシは「俺は想いを伝えているのにライガーが応えてくれない」と不満げ。
それに対してベーコンは「ゾイドは乗り物じゃない。相棒だ。ゾイドにも心がある」という返しをする。
これは凄く重要だなと思いました。

「相棒か、兵器か」のコラムで、私はゾイド側の意思を無視して「人側からの視点」のみで兵器か相棒か論を語っていました。
この流れを見てハッとなりました。そういえば、自分の中でそういう視点は全くなかった……。

今期のゾイドは色んな気付きをくれます。
「相棒か、兵器か」
この言葉について少しずつ考えを深められてきた気がします。

絆とは。
絆とは自分一人ではできないもの。自分と相手の関係によってなるものである。
「俺はこうなんだ」と伝えるだけでは押し付けでしかない。
相手との対話が必要なんだ。相手と分かり合って、そして一緒に進もうと思う事が相棒という事なんだ。
そんな事を教えてくれたのが第2話でした。

 

第3話は修行回。
2話でようやく本当の意味でライガーとの絆を結んだアラシ。
けどまだまだ青くて一人前じゃない。「ゾイドの王」とも呼ばれるライオン種ゾイドの相棒としては力量不足もいい所。
そこでベーコンとの特訓が行われた……。


今回でベーコンの人柄や考え、厳しいけど理想のアニキな感じも分かってきた感じでストーリーに魅力も増してきています。
今作は修行回ということでワイルドライガーVSファングタイガー、ワイルドライガーVSカブターの戦いが行われました。
カブターが修行相手になったのは嬉しい。飛行能力を活かして戦い、昆虫らしいパワフルさがあってけっこう強い!
今のところクワーガと共に貴重な飛行ゾイドなので、今後も出番と活躍を期待しています。

ファングタイガーとの特訓は、やはり高速ゾイド同士という事でストレートにカッコいい描写になっており、こちらも嬉しい映像です。
さて今回は修行回でしたが、単なる修行だけではなかった。
アラシはワイルドライガーと絆を結び「ワイルドブラスト」を使えるようになった。
しかし実はワイルドブラストは便利な技だけじゃなかった…。確かに強力だが負荷が大きすぎて乱発はできない。
そんな事も分かってきました。
また他にも、端々の会話からゾイドの復元の事情なんかも徐々に語られてきました。
世界観が徐々に明かされていってる感じでワクワクが増します。

ゾイドワイルドはコロコロで漫画版も連載されています。
漫画版だと展開が早くて早速旅に出ていたんですが、アニメはゾイドへの掘り下げが凄く丁寧な感じがします。
もちろん月一の漫画だと急がざるを得ないし、週一のアニメだと丁寧に描ける事情だとは思います。
今のところ、アニメは大筋の流れが漫画版と共通しています。なので相互に見比べて補完しあっても面白いでしょう。

 

さてアニメ・ゾイドワイルド。
「相棒か、兵器か」のフレーズに注目して見ています。
上にも少し書きましたが改めて。2話ではこのフレーズをもう一度考える気付きをもらえました。
ベーコン兄貴の「ゾイドは乗り物じゃない。相棒だ。ゾイドにも心がある」という台詞。これはガツーンときます。
なるほど今まで相棒という言葉を「人側の視点でのみ見ていた」のだなぁと気付き、思く反省した次第です。
先のコラムもまさに人側からの想いのみで捉えています。

そこには思いは伝えればそれでいいんだというおごりがあったのだと思う。
言えば分かってもらえる。分かってもらえないなら相手側からずや。
そんな高慢さにあった自分ではゾイドにむりやり乗ることはできたとしてもワイルドブラストは決してできなかっただろうなぁ。
いや乗ることさえできなかったかなぁ……。まさに拒絶された瞬間のアラシのように。
そんな風に思いました。

人機一体。ゾイドと一体化してもっといっぱいの事を感じたい。そしてワイルドブラストもしたいので、もっともっと色々体感していきたいなと思います。

アニメではこの部分は本当に丁寧に描かれています。
1話でアラシがワイルドブラストさせて、2話から旅に出てもおかしくなかった。
でも2話、3話で丁寧にゾイドを掘り下げていたのが凄く良いと思いました。
今後にも期待です。

 

一方で「デスメタル側の正義って何だ?」という疑問も急上昇してきています。
これは漫画版の展開も加えつつ考えますが、デスメタルというのは基本的にゾイドを「調教」して無理やり従わせている。
漫画版4話ではガブリゲーターを調教する様子が描かれていますが、これが正直見ていて辛くなるほどです。
更にデスブラスト……強制解放を使うからその非道ぶりは明らかです。

ワイルドブラストは使うと激しく体力を消耗する。それがアニメで明確にされましたが、ワイルドブラストは「ゾイドが疲れていて拒絶すればできない」のでまだ良い。
一方デスブラストの場合は何しろ強制なのでむりやり発動するでしょう。限界を超えた状態で命を削る発動であっても。
その先に待つのはおそらく死。

しかしデスメタル帝国にとっては死んだら代わりを使えば良いという考えだと思います。
まさに「兵器」「道具」という扱い。

これはどうなのでしょう。
少なくともゾイドとの付き合いという面では正義はないよなぁ……と思います。
いや「正義はない」どころの話ではない。「ド外道」です。

ただ現在示されている世界観から、以下の様にも思います。

アラシの村は切り立った崖の上にあります。
そしてまた人々は基本的にゾイドを恐れ嫌っています。
ゾイドは生態系の頂点にあるとされています。

この事実は、「ゾイドが人類の生活圏を大きく制限している。人類を脅かしている」という事情を示しています。


これは漫画版で示された図ですが、アニメ版でも同じ立地です。
高地に人が住む村が。下にゾイド生息域の森があります。
村から下に降りる手段(縄梯子)は用意されていますが、基本的には立ち入り禁止となっています。

この事情はゾイドをクマにでも置き換えると分かりやすいでしょう。
この山には300kg超えの巨大ヒグマがわんさかいる。そんな状況で山に入れるものか。
もはや入山は断念。それどころかクマが山から降りてこないか常に監視し、万一降りてきても大丈夫なように生活圏は安全位置まで後退させなきゃいけなくなるでしょう。
こういう状況だと住民はクマを恐れるだろうし、また奴らが居なければ山の恵みを受けれるのに……と憎むようにもなるのも当然です。

この状況において「クマだって友達になれる・相棒にしてみせる、恐れるだけなんておかしい」と主張するのがアラシです。
その主張は間違いではなくて、実際に上手く手懐ければ相棒になれる可能性はある。
相棒になったら人に危害を加えることはないし、それどころか心強い人の味方として様々なことができる。
でも、「じゃぁみんなで相棒になりに行く?」といったらそんな覚悟は誰にだってあるもんじゃない。それは到底無理な話でもあります。
この世界のゾイドと人の関りについては、そんな風に想像します。

更に例えます。
「ゾイドに生活圏を圧迫されどんどん端に追いやられている」というのは、人類にとって映画版風の谷のナウシカの「腐海」みたいなものとも考えました。
ここでデスメタル側の行為や正義が思いつきます。
映画版風の谷のナウシカではトルメキア軍(クシャナ)は「腐海を焼き払い大地を人類の手に取り戻す」と主張し行動しています。
それは正義であるわけです。かなり強引で強制的にやっているとしても。
また大局を見た行動とは個々の感情やなんかには流されないものでもあります。

デスメタル側としては、「現在、人類はゾイドによって生活圏を圧迫されている。しかし我々の調教技術を使えばゾイドを意のままに操れる。今まで脅威だったゾイドを恐れずに済むどころか有効な道具として使えるのだ」という主張があるのかな……と思いました。
正しいといえば正しい。人類側の視点からのみ見れば。

確かにゾイドは高度な意思を持ち人の心を理解します。絆を結べば唯一無二の相棒にする事だって可能。
実際にそうしている者だって居る。
でも怖い怖いゾイドと絆を結ぶのは誰にだって出来ることじゃない。ゾイドの数は多い。一部じゃなくて大多数のゾイドと絆を結ばなきゃ状況は良くならない。

「ゾイドを理解し繋がる」というのは理想的だし根本的な解決です。しかし現実的には難しいのではないか。
そう思えば、強引だが実現可能な「強制的にゾイドを操る」という方法を採用した事に合理性はあります。
デスメタル側の主張とはここではないかなぁと現時点では思っています。

いずれデスメタル側の主張も作中で示されていくといいなと思います。

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