ゴドスから考えるゾイド戦力比較

RMZ-11ゴドス

スペックは全長12.3m、全高9.0m、重量23.0t、最高速度150km/h、乗員1~2名。
火力としては標準タイプで二連バルカン砲X2、二連装対空砲、ビーム砲X2、レーザーサーチャーを備える。
また腕と脚の力が強く、格闘戦では比類なき強さを発揮する。

二足歩行肉食恐竜型ゾイド、ゴドス。その能力は登場からしばらく猛威を振るい、小型最強の名を欲しいままにした。
戦闘能力では後発機である帝国軍EMZ-13マーダやEMZ-16ゲルダーにも勝る。
帝国がゴドスに勝る機体をようやく調達するのはずっと後年になってから、EMZ-22イグアンの登場を待たねばならなかった。
だがイグアンはその実、鹵獲したゴドスを解析しコピー発展させた帝国版ゴドスと言うべき機体であった。
ゴドスにゴドスで対抗せざるを得ない図式は、帝国軍にとって最高の屈辱であったと思われる。

また戦闘力のみならず汎用性に優れ、コックピットや装備を換装することで簡易バリエーション機や指揮官機をすぐさま調達する事が可能。
様々な戦場に即座に対応できる機体という意味でも優れる。
小型最強の名は、そういった兵器としての優秀さも内包した語であると思われる。

また、作中を見ている限り生産性も非常に高いようで、膨大な数のゴドスが生産されている。
共和国小型ゾイド生産数では、最大を誇るものと思われる。

ここまで完成度の高い機体になったのは、ガリウスをプロトタイプとしたからだろう。
この機の製作と運用で経験を積み技術的に成熟した共和国開発部が、同タイプの発展型として作った機体がゴドスなのだろう。
後継機としては、大型化し全ての面を次世代的に発展させたアロザウラーが存在する。

 

さてゴドスは小型ゴジュラスの異名を持つ、共和国小型ゾイドの代表格といっていいゾイドだと思う。
個人的には、カノントータスやバリゲーター、プテラスなんかも捨てがたい…。ただ共和国小型代表といえば?という問にはやはりゴドスを推したいと思う。
この点は私の中でゾイド=恐竜という図式が深く根付いているからという側面が強い。
ただおそらくメカ生体ゾイドからのファンの方には、賛同していただける方も少なくないと思う。


主役級ではなく常にサポート。派手な戦闘を演じる事こそ少なかったものの、実に多くの戦場に歩兵として登場した。
そんなゴドスを、子供の頃から共和国を代表するゾイドとして認識していた。
ただ一つ、不思議に思っていた事があった。

私的な事になるけども、ゾイドバトルストーリーは4巻を初めて手に入れ、以降1,2,3巻を遅れて同時に手に入れた。
たしか、1,2,3巻は書店で注文してもらった記憶がある。
更にその後、新ゾイドバトルストーリーを手に入れた。
新ゾイドバトルストーリー2巻は大いに望んでいたものの、ついにその発売は無かった…。

ゾイドバトルストーリーを手に入れたのは小学校1年か2年の頃で、その全ての写真のカッコ良さに興奮し、没頭した。
しかしながらゾイドバトルストーリーの文章は、小学校低学年生が読むには少し難解で文章量も多い。
正直に言うと、読み飛ばして写真ばかり見ていたように覚えてる。

学年誌掲載時の文章は読だりもしていた。

学年誌掲載段階のストーリーでは、学年にもよるものの、基本的に文量が少ない。
また表現が非常に分かり易い文になっている。

ただバトルストーリーのものは文章量が極めて増えており表現も難しくなっている。
子供には難度の高いものだったと思う。

もっともこれは批判ではなく、高学年くらいになれば普通に読んで内容を理解していた。
小さい子供なら写真だけで熱くなれるし、少し大きくなってからは文章も読めるようになり、そこでその奥深さに改めて気付く。
それがゾイドバトルストーリーだと思うし、非常に理想的だと思う。

ただ小学校低学年だった頃の私も、ずっと写真を眺めて100%満足していたわけではなかった。
文章を読むのは面倒くさいけど内容は理解したいなと思っていた(子供とはわがままなものなのである)。
だから、タイトル…、例えば「あざむかれた小さな巨人・超巨大ゾイド攻撃作戦」などは読み、そこから想像を膨らませたりしていた。

そんな小学校低学年当時の私にとって、ゾイドバトルストーリーの中で唯一、すぐに読めて全て理解できる文章があった。
それは1,3,新に掲載されていたゾイド戦力比較表だった。


ゾイド同士が1対1で戦った時、どちらが強いのか?ここは最強を求める少年にとって夢のようなページだった。
このページからどれ程の数の戦闘を想像したか、もはや数え切れない程である事以外は分からない。

当時全てのゾイドを手に入れる事を夢見ていたその実、手持ちは数台のみ。
私は熱狂的な共和国派で共和国ゾイドばかりを集めていたので、帝国ゾイドはデスザウラーくらいしか持っていなかった。
共和国VS帝国ゴッコで遊ぶにしても限界があり、それは必然的に頭の中で想像のバトルを繰り広げる事になっていった。

学年誌、ゾイドバトルストーリー、CM、etc.
それらでゾイドを見る事は何より好きだった。だが…、そこに描かれたより何十倍も何百倍も…、数え切れない数のバトルを、頭の中で繰り広げていた。

左は私が大好きだったマッドサンダー…の改造タイプで、ゴールドサンダー。
子供そりゃ憧れるだろうっていう位きらびやかで豪華絢爛な姿をしている。
なにせ全身フルメッキの上、ウルトラザウルスのキャノン砲を8門も背負っている。
余談ながら、手前はかの槍持ちデッド・ボーダーで、ゴールドサンダーに撃退されている。

今見るとどうかと思う部分もあるが、ゴールドサンダーは子供の頃に私が最も憧れたゾイドだった。
このゾイドで何度出撃したか、もう多すぎて覚えていない程に。

ゴルヘックスやシールドライガーも大好きで、これらのゾイドも頭の中で大部隊を組んでバトルさせていた。
その時のバトルの基準になったのが、ゾイドバトルストーリーの戦力比較表だった。


ゾイドバトルストーリー3巻の比較表によると、ブラックライモスにはアロザウラーじゃ勝てない…。
だから妄想バトル時には、ブラックライモスと戦うアロザウラーは地理的に有利な場所に配置させようとか、味方機とペアを組ませようとか。
私は先に書いたとおり熱狂的な共和国派だったから、基本的には常に共和国が勝てるように陣を組んでいた。
もちろんあえて不利な状況に自軍を置き、奇跡の大逆転ドラマを妄想する事もあったが。

さて、ゴドスに対し不思議に思っていたのは、この戦力比較表だった。
イグアンとの比較が、ゾイドバトルストーリー1巻では「イグアンの勝ち」となっているのに対し、3巻では「引き分け」となっている。

また、ゴドス以外にもこういった点は割と多い。
プテラスとシュトルヒでは、1巻では「引き分け」となっているのに対し、3巻では「プテラスの勝ち」となっており、これも頭を悩ませた。
「どっちが正しいの?」と。
しかしながら子供がこういった点に関し明確な回答を持てるわけも無く、結局のところ共和国派の私にとって、イグアンVSゴドスはイグアンやや優勢程度、
プテラスVSシュトルヒはプテラスの勝ちと考えてバトルしていたように覚えている。

しかし今、こういった点を改めて考えてみるのもなかなか面白いものだと思う。

以前に、コラム「私とゾイド-私のメカ遍歴-」にて少し書いているが、1991年にゾイドがいったん終了してから1999年に復活するまでの間、
私は第二次大戦の兵器に興味を持ち、詳しくなった。
やれ戦艦大和がどうだとか、一式戦闘機(隼)はどうだとかに夢中になった。
その時に学んだ事は色々あり、その中に一つは、戦艦大和にしろ隼にしろ、最初と最後では能力が違うという事だった。


戦艦大和は、初期状態では主砲9門、副砲12門、対空火器40門だったのが、最終時には主砲9門、副砲6門、対空火器190門になっている。
主砲こそ同じなものの、初期は副砲多く対艦戦闘が強く意識されていたのに対し、最終時は対空火器が190門と、実に150門も増えている。
対艦戦はもちろん可能なものの、それよりも防空戦艦・全身ハリネズミと言えるほどの対空火器を併せ持ち、その性格はかなり変わっていると言える。


隼も同じような事が言える。この戦闘機は総生産機数が5000機を越える為、どのタイミングで生産された機体かによって性格が異なる。
初期型(1型)は速力495km/hで武装は7.7mm機銃×2だったのに対し、後期型(3型)では速力560km/hで武装は20mm機関砲×2とかなりパワーアップしている。
また細かくは、各砲の携帯弾数の増加など、深い部分での能力向上なども多い。

兵器全般を見ていると、運用期間の長いものに関しては初期と後期で全く同じ能力という事は、まずあり得ない。
また近代兵器ほどその特性が強い。
実運用データや各種アビオニクスの向上等をふまえ、同じ名前の同じ見た目の兵器でも常に能力向上が図られている。
戦力比較表の矛盾を単にミスとする事も出来るが、この点、ゴドスでも実在兵器と同じような事があったと思えば、ゾイドワールドが大きく広がるのではないかと思う。

つまりゴドスを鹵獲して帝国の技術を加えて作られたのがイグアンだから、当然のことながらその能力はゴドスに勝った。それが1巻当時の状況。
しかしその後も長く戦いが続くと、当然イグアンも共和国に鹵獲されたり、また共和国独自の技術も進歩してくる。
それらはゴドスにフィードバックされ、強化されてゆく。
そうしてゴドスもイグアンも強化され続けたが、3巻の時点で両者は戦力的に互角程度になっていた、と。

私は子供の頃、マッドサンダーが単機ではギル・ベイダーに敵わない事を知って、激しく落胆した記憶がある。
だからこそマッドジェットやサンダーヘルクレスなど、対ギル・ベイダー用改造マッドサンダーに熱くなったりもしたのだが…。
ただあるいは今なら、最後期生産型のマッドサンダーは対ギル・ベイダー戦術を踏まえて対空能力がこんな風に進化していた…等と考えてみるのも面白いなと思う。
同じような事は、サーベルタイガーVSシールドライガーとか、レドラーVSプテラスとか、どんな戦いでも考える事が出来ると思う。

またもう一つ、プテラスVSシュトルヒから思う事もあり、これは先ほどの兵器の能力進化とは別の事になる。


帝国が送り込んだ初の空戦ゾイドはEMZ-19シンカーであり、しかしその実は最高速度M0.9の亜音速機でしか無かった。
本格的な空戦ゾイドとしてはやはりEMZ-29シュトルヒと言わざるを得ないものと思う。
ここで考えたいのはパイロットの事で、帝国パイロットは既に共和国グライドラーやペガサロスといった超音速機を相手にしていたから、 その感覚として対超音速戦闘機戦術が叩き込まれていた。
対し共和国パイロットにとってシュトルヒは初の対超音速戦闘機戦であり、その戸惑いが激しかったであろう事は容易に想像できると考える。
要はその不慣れから、初期においては相当数のプテラスがシュトルヒに翻弄された事は想像に難くないと思う。
しかしながら後期においてはそのような事も無くなり、不測の不覚は少なくなった。
それゆえに初期と後期でキルレシオは大きく変化し、結果的に1巻では「引き分け」だったのが3巻では「プテラスの勝ち」になったのではないかと思う。

バトルストーリーの戦力比較表では「技量が同じパイロットで戦った場合」とはある。
だが、そうはいっても、やはり実戦場での戦闘結果統計が加味されている事は確実と思う。

私が共和国派だからという事もあるけれども、シュトルヒは根本的にはプテラスには勝らないと思っている。
それはグライドラー、ペガサロスと超音速機の開発実績のある共和国で開発されたプテラスと、亜音速機から一足飛びにM2.1の超音速機を開発した帝国の間に、技術的格差を感じてしまうからだ。
一気に超音速戦闘機を作ってしまった帝国の技術力や情熱は素晴らしいと思うが、やはりそこは過去のデータがない以上手探りで開発された部分も多いと思える。
シュトルヒはギリギリの設計で能力を得ているように思える。細く華奢な体つきからもそれが際立って見えてしまう。

プテラスは過去の超音速機のデータを反映して設計されたゆえ、開発的に不測の事態はシュトルヒに比べ起こりにくく、結果的に余裕とまではいかないものの堅実に作られているものと思う。
それは将来的な発展が可能であるか否かにも関わってくると思う。
ギリギリのラインで作られたシュトルヒは更なる改造や発展が難しく、しかし余裕のあったプテラスは様々な改良が続けられていったのではないだろうか。
実際、プテラスは登場以後長らく運用されたが、シュトルヒはレドラーの登場以降は全く姿を消した。
この点も加えるなら、3巻時点では、「■共和国は対超音速戦闘機戦にも慣れていた」「■プテラスの機体性能そのものも向上していた」
この二点により「プテラスの勝ち」になったのだと考えたいと思う。

その他にも色々な妄想を考える事は出来ると思う。
これも第二次世界大戦の例になるけれども、当時日本軍の戦闘機…、主にゼロ戦は、卓越した運動性能と抜群の火力で無敵を誇っていた。
当時、米軍で「雷雲か零戦と遭遇したら撤退せよ」という指令がされた程に。
当時の米軍機・グラマンF4Fワイルドキャットは運動性能や航続力、上昇力、操縦性など、ほぼ全ての性能ゼロ戦に劣り、常に苦戦を強いられていた。
しかし開戦からしばらく、無傷のゼロ戦を鹵獲する事に成功した米軍は徹底的にテスト飛行を繰り返し、ついにゼロ戦の弱点を突き止めてしまう。
ゼロ戦は機体強度が低く急降下性能が低い点や、高速で飛びすぎると舵の利きが悪くなる点などがあり、これらの点は直ちにF4Fパイロットに伝えられた。
ゼロ戦にバックをとられた際は急降下で逃げる(F4Fは頑丈で急降下性能では零戦を圧倒する)ようになり、墜され難くなった。
またサッチ・ウィーブと呼ばれる対ゼロ戦用の戦術を確立し、その結果、F4Fの性能は向上していないものの、対ゼロ戦のキルレシオが大幅に改善している。
もしかしたら、シュトルヒとプテラスにもそんな事件があったのかも…等と妄想しても面白いと思う。

実のところ妄想バトルは過去のものじゃなく今でも頻繁にやっている。
小説のような形で文字にする事もあるけれども、その何倍もの量を、今でも頭の中で妄想して熱中している。
というか…、小説は、そんな妄想の中の一つを文章化したものでしかない。
しかし昔と違い、少しは考察を深くしたいとも思うわけで、今はゾイドバトルストーリーの表面上の矛盾点から考察し、再構築したゾイド発展史を踏まえてから妄想するようにしている。

そうする事で自分の中でゾイドワールドがどんどん無限に広がってゆくし、ますますゾイドに惹かれてゆく。
ただ、無論であるが…、私の考えに頷いてもらえるならそれは嬉しいしありがたい。ただ強く断っておくべき所として、絶対的に正しいものではないと思う。
私は感じた事を積極的に発信するし、それでユーザーを刺激したいとは思う。ただ同時に、私の想像が誰かの想像を阻害しては決していけないと思う。
それは議論ではなく押し付けでしかなく、最も気をつけるべき点だと思う。
願わくば各人がこういった妄想を繰り返し、いつか交流し、更に深い世界やゾイドの可能性をファン皆で探っていけたら素晴らしいなと考えている。

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