私のメカ遍歴

私がここまでゾイドに肩入れしているのは、子供の頃の思い入れをそのまま引きずっているからだと思います。
ただ不思議なのは、フィクションのメカでここまで肩入れしているのはゾイドだけという事実です。

ガンダムをはじめ、人型ロボットは全く知らずに少年時代を過ごしました。
まぁ、全くというのは多少語弊があります。ガンダムという名前と、それが人型のロボットだという事くらいは知っていました。
ただ知識はそこまでで、ガンダム以外の名前は知りませんでした。だからザクとかイデオンとかダグラムとか言われても、それ自体を知りませんでした。
アニメは見た事がなかったし、プラモデルを買った事もありませんでした。唯一、友人宅でSDガンダムの大将軍というのを見た記憶が残っているというくらいで……。

もう少し分かりやすく当時の人型ロボットの知識水準を言うと、グレートZナイトをはじめて見た時「ガンダムだ」と思ったほど、私の知識は根本的に足りていませんでした。

<小学一年生 1992年6月号より>
グレートZナイト
 Zナイトシリーズの後期における主役機で、Zナイトの改良型。ブルースター連邦最強の機体。
 Zナイトのトータルバランスの良さを保ったまま、重装備・重装甲化が達成されている。
 その強すぎる性能ゆえに一時は封印されるも、最終決戦時に復活を果たしラスボスを打ち倒す。
 白い高貴な姿から「KNIGHT OF WHITE-白い騎士-」とも呼ばれる。

 1992年にトミーより発売。当時価格4200円で装甲巨神Zナイトとシリーズの機体としては最高価格。

 

小学生の頃、Zナイトは知りませんでした。
ストーリーは、学年誌(小学二,三年生)で展開されていました。しかし当時小四になっていた私が読んでいたのは当然四年生で、存在さえ知ることがなかったのです。
ただある時、近所の2つ年下の友人の家に行き、初めてストーリーを見ました。そして前記したようにガンダムだと思ったのでした。
(奇しくもそれは最終回の号でした。キングゴジュラスがグレートZナイトに撃破される内容で、なんでキンゴジュがガンダムに負けてんだと憤慨していた記憶があります)
その知識が間違いだと気づいたのは、インターネットを始めてしばらく経った、2000年頃のでした……。

人型兵器=ガンダムという誤った知識は、例えばWiiやPS3を見てファミコンと呼ぶ世代のそれに近いと思います。

 

私のメカ遍歴はかなり偏りがあると思います。

幼児期においてはプラレールとかトミカとかに夢中になっていたらしい。まぁ、その辺は普通でしょう。
ただその後、小学校に上がる少し前に、実に渋い事に「ゼロ戦と戦艦大和」という本を見て旧軍に興味を持つようになりました。
小学校入学前にしてゼロ戦と隼は巴戦が得意だとかそんな事を言う子供でした。

そして小学校に入った直後の1988年春に、私はゾイドに出会いました。

どっぷりとはまりました。思えば決して長くはない期間であるものの、バトルストーリーを夢中になって読みあさりました。
キットを収集し、それを買って貰うために手伝いだの勉強だのもしました。
それだけで満足できず、ゾイドトランプというオリジナル玩具まで作っていました。今で言うゾイドカードのようなものです。もちろん、出来は幼稚かったのですが……。

そして私の小学三年生の終わり……、1991年3月にメカ生体ゾイドは終わりを向かえ、私は泣きました。
ただ、終わったものはどうしようもありませんでした。

小学四年生を迎えた私がゾイドの代わりにはまったのは、再び旧軍関連でした。
太平洋戦争で活躍した日本軍機や戦艦などを夢中で覚えました。
思えばメカ生体ゾイドのバトルストーリーの雰囲気は第二次大戦のそれに近いテイストです。だからかもしれません。


あと近所に、戦時中に航空戦艦伊勢に乗っていた人がいたり、近くに海軍航空隊の飛行場跡があったり(ただし潰されてだだっ広い畑になっていた)、防空壕があったり、そういう環境だったから自然と興味がわいたというのもあると思います。
周りがそんなだから色々と戦中や兵器の話も聞き、いよいよのめりこんでいきました。
余談ですが、戦中の話は暗い話は少なかったように記憶しています。
むしろ敵の潜水艦をヒラリとかわし貴重な重油を運んだ話だとか、訓練でバッターでしごかれた話だとかを寄り合いのような場で明るく話されていました。
友軍の艦が沈んだ話などもされはしましたが……、どちらかというとそれでも、我が艦は健在で戦闘を継続していたとか勇ましい方向で言われていました。
今にして思えば深い部分を勘ぐってしまいますが、当時としては少年に憧れを抱かせる内容でした。

ゾイドキットは玩具屋から撤去され、手に入れる術を失いました。
その代わり、1/700スケールの軍艦模型……、ウォーターラインシリーズを作るようになっていました。


思えば実にわけのわからない小学生だと思いますが、私は小学4年生から小学6年生までの間、ミッドウェー海戦で瑞鶴が参戦していれば勝っていたかもしれない……と嘆いたり、レイテ海戦で栗田艦隊が反転していなかったら……と悔やんだり、戦艦長門が水爆実験の時に凄かったと言って喜んだり、何とも渋い子供でした。

例えば小学校の図工の時間。
「好きな絵を描こう!」と紙を渡されたらば、ドラゴンボールやテレビゲームの絵を描くクラスメイトを眺めつつ、戦艦大和や重巡洋艦高雄を描くような子供でした。

そして中学に入る頃になると、ウォーターラインシリーズに加えて1/72や1/48スケールの航空機模型も買うようになっていました。
と同時に、私にとってはじめての電子ゲームであるゲームボーイを手に入れ、次第に私の中の関心ににおいて旧軍と電子ゲームの比率が等しくなっていきました。

高校生になると比率は完全に逆転し、プラモデルを買う行為は完全に過去のものとなっていました。
この頃にはセガサターンをこよなく愛するゲーマーに成り果てており、ここでゲームメカの影響を少なからず受けました。
特にはタイトーの「ダライアス」シリーズのメカ造形は印象深かったです。

<(C)TAITO>

ダライアス
 タイトーが誇る同社の看板シューティングシリーズ。
 80~90年代には、横スクロールSTGの御三家と呼ばれた(他2つはグラディウスとR-TYPE)。
 中ボスやボスキャラとして海洋生物を模した巨大戦艦が登場するのも大きな特徴。
 画像は、シリーズ最高傑作の誉れも高い「ダライアス外伝」。

 <(C)TAITO>

 

そして運命が訪れたのは高校3年生の時で、それはもちろんゾイド復活でした。
高校のクラスメイトはもちろん同じ年齢。
ゾイドの話題を出せばたいてい子供の頃に好きだったとかそんな話が出てきて、そして1999年8月の再販に向けて一気に熱されていきました。
再販日以降、再びゾイドのキットに手を出しました。

当時を振り返ると面白いのは、高校生ゆえの妙なプライドがあった事です。
玩具屋でゾイドを買う際、「プレゼント用に包んで下さい…」等と言っていたのを覚えています。今ではもう何とも思いませんが……

ただゾイド再販で嬉しい反面、メカ生体ゾイドとの違いも感じてもいました。そこに馴染みきれない想いは常に持ち続けていました。
それは子供の頃に見たメカ生体ゾイドが自分の中であまりにも大きな存在だったから、少しでも違うものを認められなかったのだと思います。
今はもう、その事をある程度は冷静に見れるようになったつもりです。
ただ当時は……、その想いは月を追うごとに増していきました。
それでもコンプリートする勢いでキットは買っていましたが……、いつからか急速に冷えていったのでした。

ライガーゼロフェニックスやブロックスゾイドを見た辺りで、当時としては見切りをつけた記憶があります。
いつしか再販ものしか買わなくなっていました。

それからしばらく、ゾイドフューザーズやゾイドジェネシスは、カノンフォートなどの再販ものを除いて完全にスルーしていました。

その穴を埋めるように、再び旧軍にはまり始めました。
加えて、過去は旧軍だけだったのが、一気に現代兵器にまで興味を伸ばしていました。
この時期に私は最新鋭ジェット戦闘機がどうとか現代戦車とは何ぞやとかを色々覚えました。


ただこの時期は、ゾイドに見切りを付けたくて付けたのではなくて、一人暮らしをはじめて余裕がなかったとか、ゲーム会社に勤めるようになり色々な余裕がなくなっていた事も大きな要因でした。
キットを組む時間も、それ以前にキットを買うお金も少なく、それゆえゾイドに比べれば簡単に手に入る実在兵器関連の書籍などに目移りしていたのだと思います。

 

その自分の中でのゾイド氷河期を経て、再びゾイドにはまるようになったのはいつ頃だっただろう。
ゾイドジェネシス終了後は、ネオブロックスゾイドが発売されました
当初は興味があったのはLBシリーズのみでした。しかしLBゴジュラスやLBアイアンコングを買って、その出来の良さに大きく驚きました。

それは1999年以降のゾイドを見直す大きなきっかけになったと思います。
そこから再びゾイドに戻ってきました。

そうしている内に、もう一つの転機がありました。
当時ネオブロックスシリーズが展開していた頃、ゾイドの広報をやっておられたのが「マスクドライガーD」という方でした。
彼は公式サイトでブログを書いていた他、色々なホビー関連のイベントにも出現していました。

ブログの書き方は今までにないほどユーザー目線で、しかもかなり面白かったので、当時は毎日のように公式ページを見ていました。
それは、私を強くゾイドに引き戻す原動力になったと思います。
思えば、ネオブロックスシリーズはゾイドの中では特に低年齢層に向けたシリーズです。
にもかかわらず、ゾイドから離れかけていた自分を引き戻したのは、ライガーDの力は凄いと思います。
願わくば今一度彼に再登場願いたい所なのですが……、まぁ、その辺は話が逸れてしまうので今は置いておきましょう。

2007年、大阪で行われたホビーフェアに行き、はじめてライガーDを生で見ました。そして勇気を持って声をかけ、声援を送りました。
その後に開催された次世代ワールドホビーフェアin大阪の時には、自分が描いたオリジナルゾイドのデザインとか(オリジナルゾイド参照)、現在のゾイドについて思うことを率直に書いたファイル等を渡しました。
内容を詳しく書くと、
・オリジナルゾイドのデザイン
・フォトレタッチによるジオラマ写真
・自作ステッカー
・年賀状(フェアは1月だった)
・ライガーDやゾイドスタッフへの手紙
という構成でした。

スタッフへの手紙には、かなり率直な事を書いていました。つまりそれは、当時のゾイドへの不満も大きくぶつけていました。
方向性を失っているように思えて不安だとか、それらを改善するための提案だとか、そういう事もたくさん書いていました。
今読み返せばそれは、公式サイドとしてはムッとくる所もあったと思います。

しかしその数日後、トミーの公式ゾイドページにライガーDの新たなブログがアップさていました。
内容は次世代ワールドホビーフェアin大阪のレポートで、こんなものを貰ったという文と共に私の送ったファイルが掲載されていました。
画像として私が渡したオリジナルゾイドのデザインが(ファイルを上からデジカメで写して)載っていて、それに対するライガーDのコメントがありました。
更に「ゾイドに対するありがたい意見なんかも頂いたんやでー(彼は大阪弁である)」とかも書いてあり、勇気を持って渡して良かったなと、本当に強く思えるものでした。

それからしばらくして、私はゲーム会社から別の職……、まだしも収入や時間が得られる仕事へ転職しました。
しばらくネオブロックスは停止し、その動きを見せませんでした。
公式で動いているのはゾイドオンラインウォーズのみで、それには手を出していませんでした。
しかしライガーDの事もあり、ゾイド熱はかつての勢いを取り戻していました。
新商品が出ない間、ショップで店頭在庫を探したり中古屋を探したりして、買い逃したキットをできるだけ集めたりしました。
そうしている内に月刊ゾイドグラフィックスが刊行され、ゾイドリバースセンチュリーが始まりました。

それから少し遅れて、2009年3月にHPを開設しました。
コンテンツはメカ生体ゾイドが中心ではあるものの、機獣新世紀ゾイド以降も取り扱うスタイルとして、コンテンツの中核にレビューを据えました。

見る人が楽しめるような造りにしたいと思い、出来るだけ良い部分を探していくスタイルにしようと思いました。
例えば、正直どうかと思うゾイドでも「あまり好きでない」の一言で済まさず、ある程度の文量で書き、また良い部分をできるだけ見つけたいという姿勢です。
もちろん褒めるだけでで終わるわけではなく、言いたい事は言うスタイルでもありますが。

その中で、色々と機獣新世紀ゾイド以降のいわゆる「新ゾイド」を見直す部分が出てきて今に至っています。
例えばレブラプターは、最初見た時は「小型ゾイドにしちゃ表情がありすぎだろ」とか「顔のラインが生っぽすぎる」とかで一蹴していたのですが、改めて見直して考える事で別の見解を出す事もできました(レビュー)。

今は、もちろんメカ生体ゾイドが一番好きではあるものの、時代と共に変わってゆくゾイドも見ていきたいと思っています。

 

かなり偏ったメカ遍歴だと思います。
その中で最たるのは、大抵の少年が通るであろう「人型メカへの憧れ」という道を全く通っていない事でしょう。
ガンダムシリーズではじめて見たのは2007年のガンダム00で、あぁこれは良いものだなと思いました。
ただ幼少期からの思い入れがない分、私が今からガンダムに強くはまってゆく事は可能性としてかなり低いと思います。
非常によくできた世界観だと思うし、今ではある程度はモビルスーツには詳しくなってはいますが……。

その他で見た人型ロボットアニメとしては……、高校生の時に深夜に再放送でやっていた「バイファム13」は何度か見ていました。
ただ印象は作画の古さゆえに昔のアニメかな? と思っていたのと、飛び飛びにしか見ていなかったのでそれほどはまりませんでした。
あとマクロス7の再放送も深夜にたまに見ていいました(バイファムと連続で放送されていた)。
その他では……、比較的最近、コードギアスを見た事くらいでしょうか。

今後、徐々に人型メカも見る機会を増やしていく事になるんだろうと思います。
ガンダムシリーズも、もしかしたらファーストからキッチリと見るかもしれません。
ただその中で、私はやっぱりゾイドを追いかけてゆくんだろうなとは、確信的に思います。

私が人型ロボットモノのアニメにはまらなかったのは何故だろう……と考えます。
そういえば、人型ロボットはテレビアニメを最大の武器にして攻めます。そこはメカ生体ゾイドとの大きな差です。
テレビアニメはそれは学年誌よりもはるかに強いメディアです。

アニメはもちろん好きでした。
それこそドラゴンボールは毎週欠かさず見ていました。放送曜日の水曜は朝からドキドキしていた程に。

思うに、人型ロボットのアニメを見ていなかったのは放送時間にあると思います。
調べてみると、だいたい土曜の夕方5時とかから放送時間が多いようです。
小学生の頃は、土曜の夕方なんていうといつも友達と山の中を走り回っていました。そこに原因があるのだと思います。
私の育った地域はド田舎ですが、そういう環境がそうしたのだと思います。

娯楽は夕食以降に見るテレビか、唯一買ってもらえる雑誌の学年誌でした。
そしてそこに載っているメカがゾイドでした。

例えば人型ロボットをゾイドより先に見ていたとしても、その後にどこかのタイミングでゾイドを知ればはまっていたとは思います。
ただ、今のように強烈にか?と問われると自信はありません。やっぱり最初に見たもののインパクトは凄いものです。
そういった特異な環境にあったからこそ、フィクションメカとしてはゾイドを強く知り、そしてそれだけを見るようになったのだと思います。
そして今はそれに凄く感謝したいと思います。

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