キングゴジュラス野生体捕獲作戦 あとがき


できれば、先に本文を読んでから以下をご覧くださいませ。

 

キングゴジュラス野生体捕獲作戦をお読み頂きましてありがとうございます。

このSSは、自分としてはかなり異質なテーマで描いたものです。また、自分の中で考えがまとまらりきらない中で描いたものです。
それゆえ、不安定な部分も非常に多い作品になっていると思います。

ゾイドは生体兵器であるから、そこんところはいつかテーマとして扱わなきゃいけないなぁとは思っていました。
ただ、野性ゾイドってどんなものなのかなー・・・というのは、恥ずかしながら正直あんまり考えていなかった分野です。
今でもどうなっているかという明確な答えは持ちません。
しかし本作は、その分野にチャレンジしてみた作品です。
自分の中で出した最終的結論ではないものの、「野性ゾイドとはこういうものである」という定義付けを行って書いています。

もう一つ異質なのは、キングゴジュラスについてです。
私は発売されたゾイドキットの機種は全て量産型だと思っているクチです。
基本、量産機が大好きです。決戦機であっても。

なんていうか「数が把握できないくらい量産されてる」っていう方がいいと思っています。
キットを手にとって頭の中で妄想バトルを繰り広げて、最後に「こんな戦いもあったんじゃないかな」って思えるのがいい。
それがゾイドワールドに自分から入り込む大きな原動だと思います。
ワンオフだとどうしても劇中の描写が全てになってしまうので、そういった意味でちょっと残念だと思います。
まあワンオフはワンオフでヒーロー的な要素があり、否定するものではありませんが。

さて、キングゴジュラス。
1990年のキングゴジュラス参戦当時、自分はこいつも量産機だろうって思っていました。
というか、今でも思っています。
「プロトタイプキングゴジュラス」が居るくらいだから、少なくとも少数は生産されているんじゃないかなあと思っていたりします。

ただゾイドリバースセンチュリーの描写からしても明らかなように、今では「ワンオフであったと」されているようで、ちょっとした違和感は感じています。
今のところの収集した資料では、ワンオフだという記述はないし、逆に量産機だとする記述もありません。
なのでこの事に関しては更に研究を続け最終的な判断をせねばと思っています。

ただこのSSを書くにあたり、あえて「ワンオフであるという部分を取り入れて書いてみよう」という姿勢で書いています。
また、ワンオフであるなら何故ワンオフであるのか。
なぜヘリックがパイロットになったのかという理由も取り入れたくて書き始めました。

ついでにというわけではないんですが、リバセン期で追加された設定であるところの「オルディオス=キメラ」のような設定も積極的に取り入れつつ書いています。

あえて異質なもの…というか今までに無い要素を積極的に取り入れるスタンスで一本書いてみれば、自分の中のゾイドワールドが更に広まるかも・・・と思って書き始めた作品。
本作は、そういった経緯で生まれた作品です。

 

私がメカ生体ゾイドに入った頃、世界観は激しいバトルと人間ドラマでした。
その頃というのは、ゾイド=生物であるという認識は極めて薄くありました。
バトスト3巻の「兵士の命はどんなゾイドよりも重いのだ」というヘリックの言葉はけっこう象徴的なものがあると思います。
そこに絆などというものは希薄で、「純然とした兵器である」という扱いでありました。
あと、これはバトストなどには未収録なんですが、同時期に小三で掲載されていた「ゾイドバトルコミック フランツ編」に興味深いシーンがあります。
作中、整備兵を交えつつ「量産タイプのゾイドはみんな一緒で見分けがつくはずが無い」っていう台詞があったりします。
この当時は、こういう世界観の描き方でした。

今、様々な資料を集めてみて、メカ生体ゾイドは極初期の頃は生物であるというアピールが比較的強く、しかしバトストが本格的に始まった頃から兵器的な描写が増えていると感じます。
ただ暗黒編以降はクルーガーの各愛機に見られるように、生物であるという面が再度強調されるようになっていますが。
機獣新世紀以降は、生物であるというアピールが格段に上昇しているのは周知の通りです。

あくまで兵器的な扱いであるゾイド。
それが激しい「戦争」という緊迫した世界観を盛り上げたという面はあるし、その世代である自分としては、そういった運用が好きな所も大きいです。
戦争において悠長に絆やなんや言うのは可能なのか? 甘っちょろくないのか?
そういう風に思う部分もあるにはあります。

ただそんな風に兵器的な運用・描写を好む(その上でほんの少し、押しつけがましくない程度で生物的な描写があればいいと思っているような)私が、あえて「ゾイド=生物である」という面を全面的に押し出して書いてみたいと思って、着工した作品であります。
「生物として」というより、むしろもう神格化している面すらあります。

何でこんな風な事をしたかというと、やっぱり自分の中の世界というのは大事なんですが、しかし現状で満足するのでは勿体無い。
もっと膨らませたい。
膨らませる為には他のものに触れるのも良いだろうという事であります。
普段では触れない異質なものをあえて取り入れてみる事で何か新しい発見があるかもしれない。
もしかすると自分の考えが変わる事があるかもしれない。変わらないにしろ、なにか得るものはあるのではないか。
そういう事には常に挑戦したいと思っています。

書いてみて、自分の中で今後取り入れたい部分は色々と出てきた。そんな作品になってくれました。
どうも抽象的なあとがきですみません。

 

具体的な部分のモチーフなど。

キングゴジュラスについて。
今作ではゴジュラスの特殊個体としています。
戦争による生態系の壊滅的破壊。そしてそれゆえに生まれた生命。
最強ゾイド、ワンオフ機。であるならばそれなりのものを背負わせたかった。
意思を持ち疎通させる事が出来ますが、風の谷のナウシカの王蟲の描写(漫画原作版)を参考にしています。

あと、メカ生体世代的にはやっぱりゴジュラスというのが別格なゾイドなわけで、ゆえにゴジュラスの特殊個体=特殊個体ではあるが同じ種である としました。

リバースセンチュリーの描写にあるような「グローバリーIIIのテクノロジーを使って作られた強い機体」ではなく、あくまで「野生体として強い」ものとして捉えて描いています。
これは、この時期の技術・・・例えばキメラであったり合体であったり・・・そういった忌むべきテクノロジーの対極として、「昔ながらの心を通わせるゾイドたるキングゴジュラス」がある。
アンチテーゼな存在として捉えているからであります。

キングゴジュラスは無敵ではない。
至近距離からビームスマッシャーを受ければ装甲はさすがに耐えられません。
暗黒大陸本土では、さすがに強力な暗黒軍相手に苦戦します。
それでも彼は満身創痍になりながら戦う。その信念の為に。
という感じです。
この辺はリバセンの捉え方とは全く異なるものですが、本作としてはこう捉えています。

最後の部分には、「キングゴジュラスは簡易な改造だけで最強ゾイドになった」とあります。
この辺は、「じゃあもし期間に余裕があり2~3年かけて徹底的に作り込んだキングゴジュラスを造っていたらどうなってたんだ」というような事も想像して頂けると嬉しいです。

キングゴジュラスは強い。
でもその強さはまだあれで到達点ではなく底が見えない。
そんな所も表現できていれば良いのですが。

キメラについては、今作では忌むべき存在として描いています。
ただオルディオスやバトルクーガーも忌まわしい存在として排除すべきかというとそうは思わない…というのもあります。
彼らの存在は彼らの存在で肯定されるべき側面もきっとあると思っています。
なので、また考えがまとまってきたら本作のようなテイストでキメラ系の事も描いてみたいと思っています。

このあとがきをかくにあたり、一度SSを読み返してみましたが、本作は、作中のヘリックの描写にあるこの部分、
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ヘリックとて、共和国の指導者として行っている”戦争” その全てを理解しているとは言いがたい。
理想は今でも強い。ゾイドを愛する気持ちも本当だ。だがそこに起こる矛盾に対し、答えが出ていないのも事実。
だがそれでも、言葉にならない想いがあふれる。
キングゴジュラスよ。
お前の想いはもっともだ。だがそれでも…、

「今度は私の想いもぶつけよう! 言葉にはならんが感じてくれ」
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のような想いで描いた作品ですね。

今回、まとまりきっていない部分に関しては、また強い想いでつむいだ作品を生み出し、答えを探していければと思っています。

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