令和記念 -平成のゾイドを振り返る1(平成元年~10年)-

昭和のゾイドを振り返るに続いて、今回からは平成のゾイドを見ていきます。

平成は30年もあるので、10年毎に区切って見ていきます。
まず今日は平成元年(1989)から平成10年(1998)までを見ていきます。

 

■平成元年(1989)■
ストーリーに激変が起こった。3月で帝国が滅亡し、共和国が勝利した。
しかし同時に新たなる第三勢力「暗黒軍(ガイロス帝国)」が登場し、共和国に挑んできた。
戦いのフィールドも、従来の中央大陸から未知の「暗黒大陸」に移った。
これは「ゾイド新世紀」の呼び名で大々的にアピールされ、ゾイド新時代を強調した。
これに併せて、ゾイドデザインにも変化がみられた。
年末には暗黒軍最強ゾイド「ギル・ベイダー」が登場した。

しかしこの新展開は大成功とは言い難かった。新展開やゾイドデザインの変化にに難を示したユーザーも多く、ゾイドブームにはにわかに陰りが見え始めた。
この年で学年誌「小学五年生」での連載が終了した。最後の記事はハウンドソルジャー登場であった。

-発売されたゾイド(全12種)-
・レイノス
・カノンフォート
・ハウンドソルジャー
・キングライガー
・ガンブラスター
・サラマンダーF2

・ヘル・ディガンナー
・デッド・ボーダー
・ダーク・ホーン
・ジーク・ドーベル
・ガル・タイガー
・ギル・ベイダー

※ファミコンゲーム「ゾイド2-ゼネバスの逆襲-」も発売された

-ゾイド以外の子供文化-
・『ゲームボーイ』発売、スーパーマリオランドやテトリスをキラーソフトに大ヒットする
・テレビアニメ『ドラゴンボールZ』放映開始
・テレビアニメ『ダッシュ!四駆郎』放映開始、第一次ミニ四駆ブーム激化
・劇場用作品『魔女の宅急便』『ゴジラVSビオランテ』公開

-世間をにぎわせた事件、新商品など-
・平成はじまる
・手塚治虫死去
・リクルート事件
・消費税法施行、税率は3%
・ベルリンの壁崩壊

平成最初のゾイドはレイノスになった。レイノスはまた「帝国VS共和国」時代の最後のゾイドでもあった。

年度末に、長年続いた「帝国VS共和国」が帝国滅亡により終わった。
代わって、暗黒軍との新たなる戦いが始まった。
昭和が終わり平成が始まる。まるでタイミングを合わせたように、ゾイドも新時代へ変わったのである。
これは「ゾイド新世紀」と大々的にアピールされたが、率直にいってあまり浸透したフレーズではなかった。

現在では同フレーズを言うと1999年以降の「機獣新世紀ゾイド」を指すと勘違いされる方が多いのではないだろうか。

 

新展開だが、ストーリーは「続き」であり従来ゾイドの販売やストーリーでの活躍も継続された。
これと同時に暗黒軍と共和国軍の新型ゾイドも続々と発売されたが、従来とはデザインの方向性が変わった。
暗黒軍は蓄光パーツ(ディオハリコン)を使った特徴的な造りをしていた。
これはデッド・ボーダーとヘル・ディガンナーで好評を得たが、残念ながらジーク・ドーベル以降で採用される事はなくなった。
その造りの関係上、パーツ構成が同クラスのキットに比して細かく、価格設定も幾らか高価であった。その事も一つの要因であろう。

共和国は伝統的なキャノピー式デザインを廃止し、帝国機のような装甲式コックピットデザインになった。
また白・青・金を貴重としたド派手なカラーを標準にした。このカラー自体は前年からシールドライガーMK-II等で採用されていたが、標準化したことと金を「メッキ」で表現するようになったのは大きな変化であった。更に赤を採用した共和国ゾイドも登場した。

両国ゾイドとも新型はディティールが少なく、メカニカル感がかなり低下した。
これによりミリタリー感は低下した。
デザイン変化はユーザーの受けは悪く、少なくないユーザー離れを起こしてしまった。

 

ストーリーでは、暗黒側が「絶対的な悪」とされた事も大きな特徴であった。
従来の帝国は当初(1984)こそ悪として描かれたが、ゾイドストーリーがミリタリー感を増すにつれて徐々に悪ではないとなっていった。
それがここへきて暗黒=絶対悪となったのである。逆に共和国軍は正義の軍と強調されるようになった。
これもミリタリー感の低下と共にユーザー離れを起こしてしまった。

ゾイドの世界観は、少し背伸びしたい子供にとって最高のものであった。メカメカしくリアルを感じるデザイン。絶対的な悪のない深いストーリー。
それがこの年に激変したのだから、ユーザー離れは仕方がなかったと思う。

デザインは決して悪くはないと思う。魅力はある。ただ、一気に変えすぎたのはマズかったと思う。
今までの暗め渋めのカラーやメカメカしいディティールから一気にガル・タイガーになったら、そりゃあ驚くし拒絶反応も出ようというものだ。
ディティールが少ない事は言い換えれば新型然としている。未来的だ。そういう魅力がある。
その魅力が伝わるように持って行けば良かった。
つまりデザインを移行する過渡期を設ければ良かった。それがなくミリタリー調から急激に変えたから必要以上に否の割合を大きくしてしまった気がする。

 

カノンフォートを最後に、ゼンマイゾイドの新型が廃止されたのも特筆であろう。
この先は、最小アイテムはハウンドソルジャーなどの中型モーター搭載ゾイド(ジュニアコレクターズ)になった。
またこの年から全ての重装甲スペシャルが生産停止している。要するに店頭に並ぶゾイドの最低価格が上がってしまった。
この事は子供の小遣い事情に手痛い打撃を与えた。
折しもミニ四駆ブームが激化していたが、ミニ四駆は600円であった。Hiユニット級ゾイド(1000円)や重装甲スペシャル(780円)よりも安い。
ちなみにジュニアコレクターズゾイドは1300円なので、ミニ四駆を二台買ってお釣りが来る計算になる。

この年はゾイド人気に陰りが出始めた年でもあった。
デザインの変貌、ミリタリー感の低下、価格の上昇。これらの総合であろう。
そしてまた、ゲームボーイやミニ四駆などの強力ライバル玩具の躍進。これらが重なった事も不運だった。

 

「ゾイド新世紀」の意気込みが空回りしたことは否めない。
ただし良い事もあった。
この年は食玩メーカーの雄「カバヤ」がゾイドに参入した。
伝説の「ゾイドガム」をはじめ猛烈な勢いでゾイド食玩をリリースし、その圧倒的な造形とお買い得感でユーザーを喜ばせた。
特にゾイドガムは圧巻の出来だった。

手軽に買える小スケールのゾイドは以前から「ビッグポーズ」等が存在した。
しかしゾイドガムはレベルが違った。
今でも伝説として「これを超える食玩は存在しない」とさえ語られている。

 

■平成2年(1990)■
残念ながらゾイド人気が急激に下降していった年になった。
ストーリーでは史上最大最強の「キングゴジュラス」が登場し圧倒的なギミックでユーザーの度肝を抜いた。
だがゾイド全体の盛り上がりを取り戻すには至らなかった。
メカ生体ゾイドのキットは、この年の「デス・キャット」が最終号機になった。

※関連アイテムまで含めるとファミコン用ソフト「ゾイド黙示録」が最終アイテム

この年で学年誌「小学四年生」の連載が終了した。最後の記事はギル・ベイダー迎撃戦闘であった。
この年で「てれびくん」の連載が終了した。最後の記事はオルディオス出撃準備完了であった。
この年から学年誌「小学一年生」での連載が隔月になった。

-発売されたゾイド(全11種)-
・ショットイーグル
・ゴルゴランチャー
・サンダーカノン
・オルディオス
・ゴッドカイザー
・キングバロン
・バトルクーガー
・キングゴジュラス

・アイス・ブレーザー
・ガン・ギャラド
・デス・キャット

※ゲームボーイ「ゾイド伝説」とファミコン「ゾイド黙示録」も発売された

-ゾイド以外の子供文化-
・漫画『クレヨンしんちゃん』『スーパーマリオくん』『スラムダンク』『幽遊白書』連載開始
・『スーパーファミコン』発売
・テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』放映開始

-世間をにぎわせた事件、新商品など-
・『海遊館』開業
・ティラミスブーム
・東西ドイツが統一される

ゾイドファンにとっては極めて厳しい年になった。前年は人気に陰りが見えていた……とはいえまだまだ人気があった。
しかしこの年は厳しかった。
今までの人気から一転、小売店でもゾイドのワゴン行きが見られるようになった時期である。

この年の後期には、Hiユニット級ゾイドさえ生産停止になった。ただし、最低価格帯の上昇を危惧したのか新機軸「TFゾイド」も新登場している。価格は680円であった。
これは動力を省いた代わりに変形・合体機構を搭載したユニークゾイドであったが、ヒットしたとは言い難く3種類のリリースだけで終わってしまった。
「ヒットしたとは言い難く」というか、ハッキリと言ってしまうと存在感をまるで示せなかった。

ストーリーでは共和国が総力を揚げて開発した最大最強「キングゴジュラス」が登場しいよいよ最終局面に向かっていった。
キングゴジュラスは、メカ生体ゾイドでは7980円で最高価格のアイテムであった。
次点はウルトラザウルスとマッドサンダーで5980円。これらより2000円も高い。
その価格に見合い完成度は凄まじかった。なにしろ「歩行→立ち止まって叫びながら腕を振り上げる」という前代未聞のギミックを持っていた。尻尾の動きも凄かった。
人気が落ちてきていた中、こんな凄いアイテムを造った事には意地を感じる。
叫び声はやりすぎだろうという声もあったが……。

 

ゾイド以外では、現在でも人気のメディアが続々と登場した年でもあった。
クレヨンしんちゃん、スーパーマリオくん、ちびまる子ちゃん。これらは令和元年現在でも続く「定番」になった。
スーパーファミコンもゲーム機の大きな進歩を感じさせた。
これらのニューメディアと入れ替わるように、ゾイドは終焉に向かっていったのである……。

 

■平成3年(1991)■
メカ生体ゾイドが展開を終えた年になった。
ストーリーは「小学一年生」「小学二年生」が2月号で終了、「小学三年生」は3月号で終了した。
小学三年生がメカ生体ゾイドが最後に展開した場所であった。

ここから、ゾイドは長い休眠期間に入る。

-発売されたゾイド(全0種)-
なし

-ゾイド以外の子供文化-
・『装甲巨神Zナイト』展開開始
・アーケード『ストリートファイターII』稼働、インベーダー以来となる空前の大ヒット
・メガドライブ『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』発売、スピーディな展開で人気を博する
・スーパーファミコン『ファイナルファンタジーIV』発売
・テレビアニメ『絶対無敵ライジンオー』『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』放映開始

-世間をにぎわせた事件、新商品など-
・バブル経済崩壊、失われた10年の始まり
・湾岸戦争勃発
・雲仙普賢岳で火砕流発生
・コミケ幕張メッセ追放事件
・千代の富士引退
・宮沢りえ『Santa Fe』発売
・ソ連崩壊

メカ生体ゾイドが終了し、長い休眠期間に入った忘れ難い年である。
小学一、三年生では暗黒軍を倒して共和国勝利のエンド。二年生では最終決戦の最中に巨大彗星が飛来・ゾイド星を直撃し星がバラバラに砕け散るというショッキングなラストであった。バッドエンドにも程があろう……。
キットの箱裏に掲載されているストーリーでは、彗星がゾイド星の月を直撃し破壊。その破片が星に降り注ぎ大災害を起こしたというラストであった。小二ほどではないが、こちらも虚しい結末であった。
終わり方が複数ある。「マルチエンド」という概念は当時はゲームなどでもあまりなかったと思う。当時何を考えてこうなったのだろうか。

  

さてこの年から、ゾイドに代わって「装甲巨神Zナイト」が展開したのは周知であろう。

ただし、同シリーズはゾイドの後継として期待されOVA化を含む大規模展開をしたにも関らず、売り上げはゾイドシリーズほど膨らまずに1993年度で展開を終了する事になった。
展開期間は3年で、メカ生体ゾイドの1/3でしかない。

 

それ以外では、あのストリートファイターIIがアーケードで稼働した事が大事件だった。
あの頃はゲーム屋や駄菓子屋にも一~二台のアーケード筐体が置いてあることが多かった。もちろんストIIが入っており、子供たちはこぞって通ったものだ。
当時はまだ上手いプレイヤーは少なく、昇竜拳を出せたらギャラリーが付く程であった。今と比べるとのどかな時代であった。

またバブル経済の崩壊、雲仙普賢岳の噴火、湾岸戦争など世間に暗い影が差した年でもあった。

 

■平成4年~平成10年(1992~1998)■
ゾイドが展開していない時期の為、この期間はまとめる。

平成4年(1992)
・スーパーファミコン『スーパーマリオカート』発売、同機では最大出荷本数を記録
・公立の小・中・高等学校で第二土曜日が休校制になる(それまで土曜日は午前のみ登校であった)
・山形新幹線開業
・風船おじさんが行方不明に
・若貴ブーム

平成5年(1993)
・『ジュラシック・パーク 』公開、恐竜の姿勢に一般認知が変わる
・アーケード『バーチャファイター』可動、ポリゴンゲームの時代到来
・Jリーグ開幕、空前のサッカーブーム
・矢ガモ騒動
・レインボーブリッジ開通
・平成の米騒動、外米の緊急輸入

平成6年(1994)
・年末に次世代ゲーム機『セガサターン』『プレイステーション』発売、次世代機戦争勃発
・ドラマ『家なき子』放送、「同情するなら金をくれ」が流行語に
・松本サリン事件発生

平成7年(1995)
・漫画『ドラゴンボール』連載終了
・ガンプラから当時の最高技術で造られた『マスターグレード』シリーズが発売される
・阪神淡路大震災
・地下鉄サリン事件
・『Windows 95』発売、インターネットが一般家庭に普及しだす

平成8年(1996)
・『NINTENDO64』発売
・ゲームボーイ『ポケットモンスター 赤・緑』発売、ゲームボーイ人気がV字回復する
・アトランタオリンピック開催
・大腸菌O157発生
・ペルー日本大使公邸占拠事件

平成9年(1997)
・劇場用作品『もののけ姫』公開
・プレイステーションゲーム『ファイナルファンタジーVII』発売、次世代機戦争がプレイステーション勝利に決する
・漫画『ONE PIECE』連載開始
・ナホトカ号重油流出事故
・消費税が3%から5%に、立ち直り始めた日本経済に打撃を与える
・ダイアナ元イギリス皇太子妃、パリで交通事故死
・失楽園ブーム

平成10年(1998)
・『ゲームボーイカラー』発売
・テレビアニメ『おじゃる丸』放送開始
・長野オリンピック開催
・和歌山毒物カレー事件
・FIFAワールドカップ(フランス大会)開幕
・北朝鮮、テポドン発射
・CDの年間売上枚数がピークを迎える
・『Windows98』発売、インターネットが更なる普及をみせる
 なおこの時代はダイヤルアップ接続やテレホーダイが主流で「ピポパポパピピポピポ ピーピーピーピーヒョロロロ ピーブピブーピーガーーーーーーー」的な音でつないでいた。

 

この時期のゾイドは休眠期間なので話題にする事が少ない。
ただ海外では海外向けシリーズ(Techno ZoidsやZOIDS2)として展開が継続されていた。世界規模で見ればゾイドは現役であった。

日本では、1992年に「生体バトルビークルゼブル-ZEVLE -」としてメガトプロスを除く24ゾイドが成型色と設定を変えて再販された。
しかしこれは売り上げ不振により短期で終了してしまった。

この他「ゾイドMZ」の名でなぜか成型色変更のグランチュラとザットンが販売された事もあったが(年代不明)、こちらも短命に終わった。

Zナイトは様々な販促を行ったが思うように広がらず展開縮小した。
当初は6体の巨神(大型キット)を出す予定が2体で終了、小型アイテム(ストライカー)に移行した。
学年誌での連載も「小学二年生」「小学三年生」で行われたが、不定期掲載だったり突然終了する事もあり盛り上がりに欠けた。
ただ前期は「小学三年生」、後期は「小学二年生」が連載をどうにか維持し、小二の1994年1月号でもってストーリーは完結するところまで行った。
なおクライマックスはラスボスとしてあのキングゴジュラスが出たことで有名である。

昔に違わぬ暴れっぷりを披露するも、最終的には「グレートZナイト最終形態」に敗北し初の黒星となった。
ただこの一戦をゾイドの延長として考えるか「Zナイトにゲスト参戦しただけでパラレル」と考えるかはそれぞれであろう。
なおZナイトには設定なり学年誌のストーリーなりにゾイドはそれなりの頻度で登場していた。

  

この時期でゾイドにとって特筆なのは、windows95発売からのインターネット普及であろう。
各企業は自社ホームページを開設した。1997年、トミーは自社サイトの中に『ゾイド歴史館』というコンテンツを立ち上げファンとの交流を試みた。

当時のトミーは「TD2」という3DCG製作部署を持っていた。そこで”せっかくCGを作るならゾイドを題材にして発表しよう”というのがゾイド歴史館の発端だったとのこと。
確かにゾイドの複雑な作りは3DCGの練習にはちょうど良い題材であろう。

歴史館はゾイドのCG発表の他に、メカ生体ゾイドの各機紹介やスケッチ公開、質問コーナーなど(当時のサイトとしては)非常に充実した内容であった。
そして歴史館を立ち上げてみれば多くのファンが居て今でもゾイドを愛している事に担当者は驚き喜んだとの事。

史上初のゾイドファンサイトが出来たのもこの時期と思われる。
ファンサイトではゾイド復活署名活動も行われた。

ゾイド歴史館やファンサイトでの活動が盛んになり、1997年には東京ゲームショー・トミーブースではゾイド大ディオラマが展示された。
それを皮切りに1998年春、秋のゲームショーでは一部ゾイドが試験再販されるなど、少しづつゾイドが活動を再開しだした。
そして「ゾイド復活」がまことしやかにささやかれるようになった。

 

そして1999年を迎えた。

 

ということで、今回は平成10年までのゾイドを振り返りました。
次回は平成11年からを振り返ります。

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