令和記念 -昭和のゾイドを振り返る-

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2019年5月1日は、時代が平成から令和に移った日でした。
この節目となる日からしばらく、ブログで「昭和」と「平成」のゾイドの流れを振り返る記事を書いていました。

本コラムは、その記事に加筆したものになります。
その中でも、今回は昭和のゾイドについてです。
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昭和のゾイド史を振り返ってみます。
昭和は1926年(元年)12月25日から1989年(64年)1月7日までですが、その中でゾイドが動いたのは1981年(56年)以降です。

 

■昭和56年(1981)■
史上初のゾイドが誕生した記念すべき年。
といっても日本ではない。
この年、『ZOIDS』が海外市場で販売され、好調なセールスを記録した。

発売された機種はガリウス、グライドラー、エレファンタスの3種類。
ただしこの時は、シリーズ名こそ「ZOIDS」と付いていたものの、各機には固有の機種名が付いていなかった。
正しくは「後にその名称で呼ばれる事になるゾイドが発売された」である。


こちらはキットの箱。機体名が付いていない事に注目されたい。

-ゾイド以外の子供文化-
・ガンプラ(前年発売)が空前の大ブームに
・『チョロQ』誕生
・漫画『キャプテン翼』連載開始。サッカーブーム到来
・テレビアニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』放送開始、「んちゃ」が流行語に

-世間をにぎわせた事件、新商品など-
・神戸でポートピア'81開幕
・ファミリーマート開業
・雪見だいふく、ガリガリ君誕生
・なめネコブーム

 

■昭和57(1982)■
海外でのZOIDS好調を受け、日本でも発売する事が決定する。
ただし、名称は子供が親しみやすいようシリーズ名は『メカボニカ』に改変する事になった。
各機にも固有の名称が与えられ「メカギラス」「メカトロス」「メカファントス」として発売される。
しかし……、それなりに注目されたものの、あまり売れずにシリーズ展開は短期で終了してしまった。


それでも、可能性を感じたトミーは開発と展開の続行を決意。売れる方法を探る。
これが翌年以降の展開につながることになった。

-ゾイド以外の子供文化-
・テレビアニメ『超時空要塞マクロス』放送開始
・ミニ四駆発売

-世間をにぎわせた事件、新商品など-
・東北新幹線、上越新幹線開業
・500円硬貨発行
・ソニーが世界初のCDプレーヤー「CDP-101」発売
・『笑っていいとも』放送開始
・テクノロジー・科学ブーム
・プロレスブーム

昭和56年(1981)、昭和57(1982)はゾイドにとって『前史』と言える。
この下積みと混迷があったからこそ、翌年からのメカ生体ゾイドシリーズが大きく花開いたと言えるだろう。

1983年に「テクノロジー・科学ブーム」「プロレスブーム」があった事は大きな注目ポイントだ。
ゾイドの持つSF感、未来感、そしてバトルストーリーの大型ゾイドがぶつかり合うプロレスバトル的描写に無関係ではないだろう。

ちなみに「マクロス」は学年誌でも連載を持っていた。
それはマクロスプラモを独自に改造しようという企画で、後のゾイドと酷似する内容であった。
学年誌のゾイドはマクロスの後継と言うこともできる。
(マクロス記事について興味がある方はぜひ国会図書館などで観覧されたい)

 

■昭和58(1983)■
メカボニカは不調に終わったが、トミーはキットの完成度には自信を持っていた。
そこで再起がかけられた。サイドの展開に先駆け、入念な市場調査が行われた。
調査の結果、名称は海外と同じZOIDSの響きが好評と判明した。
そこでシリーズ名を『メカ生体ゾイド』に改め再スタートした。
また売り場で注目を集めるべく、初の大型モデル「ビガザウロ」も開発された。

目論見は成功し、メカ生体ゾイドは大注目でセールスも好調となった。
この結果、翌年以降は規模を拡大しつつ展開継続する事になった。

-発売されたゾイド(全10種)-
・ガリウス
・グライドラー
・エレファンタス
・グランチュラ
・アクアドン
・ゴルゴドス
・ハイドッカー
・ペガサロス
・ビガザウロ
・マンモス

-ゾイド以外の子供文化-
・漫画『北斗の拳』連載開始
・テレビアニメ『キャプテン翼』放映開始、サッカーブーム到来
・ファミリーコンピュータ(ファミコン)発売
・キン肉マン消しゴム発売

-世間をにぎわせた事件、新商品など-
・エリマキトカゲ大流行
・三宅島大噴火
・六甲のおいしい水、カロリーメイト発売
・東京ディズニーランド開園

記念すべき第一期シリーズ・メカ生体ゾイドが始まった年。
メカボニカの不振から一転、メカ生体ゾイドは好調な走り出しをみせた。
これはシリーズ名を「ゾイド」にした事なども要因だが、何よりもビガザウロの功績であった。
ビガザウロは電動なので、店頭で動状態のままずっと展示しておくことが可能だった。
これは凄まじい効果を出した。

ゾイドは動く玩具ならではの要素を武器に、売り場で大注目を集めた。
ビガザウロはヒットした。大型店では一日100個以上も売れた記録もある(「デザインの現場」1984年4月号より)。

余談だが、メカ生体ゾイドと同時期にトミーは『超次元戦隊RATS』『変幻自在獣スタリアス』などのシリーズを展開している。
数年後には『サイテックス』も展開した。
ゾイドだけでなく、他にも多くの「SFオリジナルメカシリーズ」を展開したわけだが、ゾイド以外は全て短命に終わった。
ゾイドだけが長期展開し大規模シリーズに成長したのだ。

この年に開園した東京ディズニーランドについても捕捉しよう。
トミーはここのオフィシャルスポンサーであった。なので、ディズニーランドのおみやげ売り場にはゾイドが売ってあった。
ここでは幾つかの海外仕様ゾイドが買えた。

もっとも当時はインターネットも携帯電話もない時代。このことを知るユーザーは極めて少なかった。トミーもこの事を積極的に告知する事はなかった。
とはいえディスにーランドなので、そこそこの数が売れていたようだ。
現在でも稀に海外仕様ゾイドを見ることがある。これは個人輸入したものや、このディズニーランドで売られたものと思われる。

 

■昭和59(1984)■
ゾイド人気が加速した。春には「最強ゾイド」の謳い文句で「ゴジュラス」が登場した。
ゴジュラスはゾイドシリーズの顔として積極的にプッシュされ、もくろみ通り大ヒット、シリーズの人気を牽引した。

「マーダ」を第一弾として帝国側ゾイドも登場した。下半期には帝国側初の大型ゾイド「レッドホーン」も登場した。
帝国軍の登場で世界観やストーリーも深みを増していった。

前年から箱の仕様が変化した。
前年のキットは「箱裏」が一面まるまる改造作例であった。
しかしこの年からはスペックやストーリーが載るようになったのである。

箱裏を比べられたい。

更に、この年より店頭でゾイド情報をまとめた冊子「ゾイドグラフィックス(※)」が配布されるようになった。
(※当初は「ゾイド情報」という名であったがvol.7よりゾイドグラフィックスの名で呼ばれるようになる)

学年誌「小学三年生」での掲載も始まった。当初は改造作例が中心であったが、後にストーリー展開が行われるようになった。
「コロコロコミック」での漫画作品(ゾイド創世記)を含む連載も行われたが、これは今ひとつ盛り上がらず短期で打ち切られた。

これは小三でゾイドが掲載された最初の号。
この時代のゾイドは、小学三年生を筆頭に「学年誌」を主な掲載場所としていく事になる。

-発売されたゾイド(全12種)-
・スパイカー
・フロレシオス
・ゴドス
・ガイサック
・ゴジュラス
・ゴルドス

・マーダ
・ゲーター
・モルガ
・ゲルダー
・ザットン
・レッドホーン

-ゾイド以外の子供文化-
・テレビアニメ『北斗の拳』放映開始、「お前はもう死んでいる」が教室でブームに
・劇場用作品『風の谷のナウシカ』『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』公開
・チクタクバンバン大ヒット
・ハーゲンダッツ、カラムーチョ、コアラのマーチ、ねるねるねるね発売

-世間をにぎわせた事件、新商品など-
・グリコ・森永事件
・ロサンゼルスオリンピック開催
・日本初の衛星放送始まる

この年はゴジュラスとレッドホーンがリリースされた。これによりゾイドが人気安定に向けて着実に進んでいった年である。
リリース数は12と前年より多い。
小型ゾイドでは、従来より一回り大きな「重装甲スペシャル」級ゾイド登場した。第一弾はゴドスであった。これは翌年からゼンマイゾイドのスタンダードになる。

子供文化では、あのファミコンが発売された翌年である。
前年からこの年にかけては「ドンキーコング」「ギャラクシアン」「ゼビウス」などで人気を博していた……が、そこまでのブームではなかった。
しかし翌年に”あの”怪物ソフトが登場し、一気に浸透する事になる。

ところでこの年は「ねるね」の発売年でもある。あのねるね婆ちゃんのCMは当時も大きな話題になったものである。
いまや「定番ネタ」として扱われているテーレッテレーだが、当時は何の前触れもなしにテーレッテレーが流れたものだから、それはそれは凄まじいインパクトであった。

 

■昭和60(1985)■
ゴジュラスのライバル「アイアンコング」が登場した。

これによりストーリーが大いに盛り上がり、ゾイド人気は完全に定着した。
またこの頃から世界観がSF調からミリタリー調に変化していった。

-発売されたゾイド(全5種)-
・バリゲーター
・サラマンダー

・マルダー
・シンカー
・アイアンコング

-ゾイド以外の子供文化-
・漫画『ドラゴンボール』連載開始
・テレビアニメ『機動戦士Ζガンダム』『蒼き流星SPTレイズナー』 放映開始
・『スーパーマリオブラザーズ』発売、ファミコンブームが一気に過熱
・シルバニアファミリー発売
・ビックリマンチョコ(悪魔VS天使シール入り)発売

-世間をにぎわせた事件、新商品など-
・科学万博-つくば '85開催
・男女雇用機会均等法が成立
・日本航空123便墜落事故
・日本人初の宇宙飛行士誕生
・眉を太く描くメイクが大流行する

あのアイアンコングが登場し、ストーリーはぐっとアツくなった。
それまでは「ゴジュラス無敵!!」であり、カッコイイがどうしても無敵すぎて緊迫感にかける面が否めなかった。
レッドホーンは「油断は出来ないものの結局投げ飛ばされる」感じであった。
それが強力なライバルの登場で、一気に緊迫感が出た。
「格闘戦のゴジュラス」「砲撃戦のコング」という特性の差もユーザーを熱くさせた。

ストーリー・世界観はミリタリー調の度合いが濃くなり、翌年以降はいっそう濃くなってゆく。

ゾイド人気は高まっり定着したが、意外にもリリースされた種類は少なく前年の半分以下に留まっている。
これは焦って新型を出すよりも、83・84年にリリースしたゾイドの生産を繰り返しそれを売っていたからである。
種類を増やすより既存アイテムで十分な儲けを出そうという方針はとても上手い。
おそらくだが、この年の開発陣はキット開発を少し休む代わりに世界観やストーリーを今一度見直しブラッシュアップしたのだと思う。
それがこの年からのミリタリー調への変化に出ているのだろう。

学年誌以外にも、「ホビージャパン」、ホビージャパン増刊「MARK.1」、「STARLOG」にも特集記事が載る機会があった。
これによりゾイドは幅広い層に知名度を上げた。

一方、ファミコンにあの怪物ソフト「スーパーマリオブラザーズ」が登場し子供の玩具の主役になった。
これまでも「ゲームウォッチ」などの電子ゲームはあったが、それとはまさに次元の違う超ブームであった。
学年誌もトップ特集はファミコンになり、「玩具」のあり方が大きく変化する年になった。

しかしシルバニアファミリーやビックリマンチョコなど、電子ではない新しい玩具・子供文化が誕生したのもこの年であった。
ドラゴンボールの連載が始まった年でもある。子供にとっては極めて濃い年だったと言える。

 

■昭和61(1986)■
史上最大ゾイド「ウルトラザウルス」が登場し、その巨大さと完成度の高さで大いに注目された。

また初の「MK-II」タイプゾイドも登場した(ゴジュラスMK-II/アイアンコングMK-II)も登場した。

この年から学年誌「小学一年生」「小学五年生」での掲載が始まった。

-発売されたゾイド(全14種)-
・プテラス
・スネークス
・カノントータス
・ゴジュラスMK-II
・ウルトラザウルス

・グスタフ

・イグアン
・サイカーチス
・ヘルキャット
・ハンマーロック
・ツインホーン
・シュトルヒ
・サーベルタイガー
・アイアンコングMK-II

-ゾイド以外の子供文化-
・漫画『ちびまるこちゃん』連載開始
・劇場作品『天空の城ラピュタ』公開
・テレビアニメ『ドラゴンボール』放送開始
・レーサーミニ四駆発売
・ファミコンディスクシステム発売

-世間をにぎわせた事件、新商品など-
・バブル景気始まる
・ハレー彗星が76年ぶりに地球接近
・チェルノブイリ原発事故
・自動車のシートベルトの着用が原則義務化
・フライデー襲撃事件
・清原和博プロ野球デビュー
・写ルンです発売

この年は、前年の3倍近い14種類ものアイテムがリリースされた。
これは、ガリウス~フロレシオス+ビガザウロの、初期共和国”骨ゾイド”が生産停止し一線を退いた事が大きな原因だろう。
ラインナップ数が空いた分の穴を埋めるべく、より華やかなゾイドが新規開発された。

新型機の中でも、サーベルタイガーは今までにないスピーディーなフォルムで人気となった。

このゾイドはゾイドシリーズで最多販売数を誇るアイテムになったのは有名であろう。

ウルトラザウルスは、まさに「ウルトラ」と呼ぶに相応しいビッグサイズで市場の度肝を抜いた。
ちなみに……、1986年当時の史上最大恐竜は「ウルトラサウロス(当時の呼び方で言えばウルトラザウルス)」であった。

この恐竜が後の時代に別種の骨であったと判明し抹消される事は周知の通りである(wikipediaを参照)。
しかしこの当時は確かに存在した恐竜で、世間を大いににぎわせた恐竜だったのである。

この年は初のMK-IIタイプが登場した事も特筆であろう。またこれらは初の「限定販売」ゾイドでもあった。
現代と違い、当時は限定販売という方式は一般的でなかった。トミーの先見性が伺える。
なお限定型は(むろん地域にもよるが)瞬殺だったそうだ。
その救済として、翌年には両MK-IIは「量産型」として仕様を若干変更しつつも一般販売される事になる。

ゾイド以外では、ハレー彗星が子供たちの間で大きな話題になった。
「彗星で地球が滅ぶ」という噂がどこからともなく子供たちの間で流れた。それを肯定し脅すような本も多くあった。
また科学的にそれらの不安を払拭し丁寧に解説する本もあった。
後年の「ノストラダムスの大予言」のようであるが、このような事柄はいつの時代にもあるのだろう。

「写ルンです」はゾイドと少し関係がある。
この時代はカメラが高級品で、おいそれと使えるものではなかった。
ゾイドは積極的に「写真コンテスト」を開いている。これは大いに盛り上がった。

安価なカメラ、写ルンですが発売されたからであろう。もし写ルンですがなければ、コンテストはスネオ的な坊ちゃんしか参加できないものになっていたに違いない。

そしてこの年は何といってもレーサーミニ四駆である。
ミニ四駆自体は1982年から発売されていたが、この年には名の通り「速さ」を追求したレーサーミニ四駆が登場して凄まじい人気を博した。
ミニ四駆ブーム(第一次ブーム)は91年頃まで持続し、ゾイドの超強力なライバルになった。

 

■昭和62(1987)■
3月でゾイドの展開が一旦「共和国側の勝利」で決着する。
しかし帝国軍は脱出し、再びの展開を予感する終わり方であった。
そして実際に終わらなかった。4月からは「より強くなり帰ってきた帝国軍と共和国軍」による戦いが始まる事になった。

ゾイド人気は更に上昇した。学年誌でも連載のページ数が増え、キットの売り上げもどんどん上がっていった。
この年には、帝国側の史上最強ゾイド「デスザウラー」が登場した。その圧倒的な強さは共和国ファンに絶望を、帝国ファンに熱狂を与えた。

また新機軸「24ゾイド」が発売された年でもあった。

この年から雑誌「てれびくん」での掲載も始まった。

-発売されたゾイド(全16種)-
・ダブルソーダ
・コマンドウルフ
・ゴルヘックス
・ベアファイター
・シールドライガー
・ゴジュラスMK-II量産型

・シーパンツァー
・ウオディック
・ブラックライモス
・ブラキオス
・ディメトロドン
・アイアンコングMK-II量産型
・デスザウラー

・ロードスキッパー
・ドントレス
・デスピオン

※この他アタックゾイド全16種も発売された
※ファミコンゲーム「ゾイド-中央大陸の戦い-」も発売された

-ゾイド以外の子供文化-
・ブタミントン大ヒット
・劇場用作品『となりのトトロ』、『火垂るの墓』公開
・『仮面ライダーBLACK』放送開始
・『PCエンジン』発売、家庭用ゲーム機の高画質化
・『ロックマン』発売

-世間をにぎわせた事件、新商品など-
・『サラダ記念日』大ヒット
・地価の異常高騰、財テクブーム
・国鉄が分割・民営化され、JRグループが発足

前年をも越える16種類のゾイドがリリースされた。メカ生体ゾイド黄金期と言える。
一方でマルダーやスネークスなど重装甲スペシャル級ゾイドが順次生産終了していった年でもある。
重装甲スペシャル級ゾイドは、シーパンツァーとダブルソーダを最後に新型がリリースされる事はなくなった。
代わって登場したのは、一回り大きな「Hiユニット」級ゾイドである。第一弾はウオディックであった。

これは新型強力ゼンマイを搭載したキットである。

従来のゼンマイゾイドに搭載されていたゼンマイは「マイクロゼンマイ」という規格品であった。
しかしHiユニットはトミーがゾイド用に開発した専用の新機軸であった。
これはこの当時のトミーがいかにゾイドに力を入れていたかを示す事例と言えよう。

この年のゾイドではシールドライガー、デスザウラーが特に大ヒット商品になった。
シールドライガーは、サーベルタイガーに次ぐ売り上げ二位の記録を持つゾイドである。

デスザウラーは、搭載する「荷電粒子砲」が大きくアピールされた。
この事は当時のゾイドがデザインだけでなく「設定」で売っていた事を示す事案である。
箱裏や学年誌に掲載されたゾイドストーリーは大人気を博していた。ミリタリー調の展開も大好評で、ファンはこぞって設定を暗記していたものだ。
荷電粒子砲は実に魅力的な設定であった。この設定がなければ売り上げはかなり下がっていたであろう。

また24ゾイドにも触れねばなるまい。これは従来キットとスケールを変えたシリーズである。
ただ、猛烈なプッシュがされある程度の人気は博したが、従来ゾイド(1/72スケール)に並ぶ人気にはならず翌年を持って打ち切られることになった。
余談だが24ゾイドは元々は「海外向けのゾイド」として企画されたものである。
海外の子供の傾向として、1/72のパイロットフィギュアでは小さすぎて感情移入しにくい。
そこで、そこそこのサイズと可動を持つフィギュアを同梱するゾイドが企画された。これが24ゾイドなのである。

しかし紆余曲折あり、けっきょく海外では24ゾイドはリリースされず日本国内だけの商品になった。

ゾイド以外ではPCエンジンが大注目だろうか。ファミコンに比べて圧倒的に美しい画面は衝撃を与えた。
翌年以降、R-TYPEなどのキラーソフトでファミコンと共にテレビゲームブームを支えるハードになっていった。
一方で、昔ながらの玩具として家族で遊ぶ「ブタミントン」が大ヒットした事も忘れ難い。
あの特徴的なCMを覚えている方も多いのではないだろうか。

 

■昭和63(1988)■
前年に登場した史上最強ゾイド「デスザウラー」を攻略するための一年となった。
ストーリーはミリタリー感を全開に展開。この年も安定した人気を博した。
年末にはついに対デスザウラー用決戦ゾイド「マッドサンダー」が登場し、ストーリーのクライマックスを思わせた。

ゾイド人気を更に高めるべく、コロコロコミックで「特攻!ゾイド少年隊」が連載開始されたが、これは今ひとつ人気とならず翌年には打ち切られてしまった。

-発売されたゾイド(全17種)-
・アロザウラー
・コマンドウルフNew type
・ベアファイターNew type
・シールドライガーMK-II
・ディバイソン
・マッドサンダー

・バトルローバー
・ネプチューン
・メガトプロス
・サンドスピーダ

・レドラー
・ブラックライモスNew type
・ブラキオスNew type
・ライジャー
・グレートサーベル

・ゴーレム
・ショットウォーカー

※この他MSXゲーム「ゾイド-中央大陸の戦い-」も発売された(ファミコン版の移植+追加要素)

-ゾイド以外の子供文化-
・劇場作品『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』公開
・『ドラゴンクエストIII』発売、社会現象に
・『メガドライブ』発売
・『PCエンジンCD-ROM2』発売、史上初のCD媒体のゲーム機

-世間をにぎわせた事件、新商品など-
・東京ドーム完成
・青函トンネル開通
・瀬戸大橋開通

リリース数は全17と、メカ生体ゾイド全機を通じて最も多い年であった。
ただしその実は「New type」という色変えキットが4種類、また「強化仕様ゾイド」が2種類混じっており、純粋な新型という意味では数が減る。

リニューアルキットは「ゴジュラスMK-II」のように珍しくない。
ただ、この年のものはグレートサーベルを除き「前年に発売されたばかりのまだまだ売れているゾイドをリニューアルした」点において一考の必要があろう。
青いシールドライガー、茶色いベアファイター。これらを廃盤にしてまで急いでリニューアルする必要があったのかという点では賛否があろう。

しかし、そんな賛否を内包しつつもゾイドは堅調であった。
特にデスザウラーにわずかながらも対抗できるディバイソン。それを経て完全にデスザウラーを超えるマッドサンダーをもって帝国、共和国の両ファンのハートを燃やした。

ゾイド以外では、大型工事が立て続けに完了した年でもあった。
どの工事も偉業として学年誌などでも大きく取り上げられた。当時のチビッコは我が事のように完成を喜び未来に思いを馳せたものである。

 

■昭和64(1989)■
1/7、昭和天皇が崩御され昭和が終わった。

これより平成の時代に移る。

昭和最後のゾイドは1988年10月発売のマッドサンダーであった。
次点は9月発売のライジャーである。

ストーリーは、ちょうどマッドサンダーがデスザウラーを倒し最強ゾイド交代を印象付けた頃であった。
平成のストーリーはマッドサンダーを先頭にした共和国の猛攻と帝国の滅亡から始まる。
そして時代が昭和から平成に変わったように、ゾイドの戦いも帝国の滅亡と共に新しいステージに突入するのである……。

 

ということで、今回は以上ざざっと昭和のゾイドを振り返りました。
次回は平成を振り返ります。

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