ゾイド星からの便り

それにしてもゾイドバトルストーリーはいいなぁと思うばかりだ。
もう何度読んだだろう。少なくとも三桁であるとは思う。いいかげん飽きないものかと我ながら思ってしまうが、よく度に新しい発見があるのでやめられない。

本棚の背表紙を見るともうだめだ。
少しだけ…と手にってパラパラめくっていると、いつの間にか釘付けになる。

    

以前に、遠景モデルについてのコラムを書いた。(コチラコチラコチラ)
ゾイドバトルストーリーのジオラマは素晴らしい。
完成度が高いのは言わずもがな。だがそれだけじゃない。この遠景モデルに代表されるような、ニヤリとする遊びが随所にあって良い。

思うに、もちろんゾイドのジオラマは模型的な高い完成度を求められている。しかし、それだけじゃなく他にも色々な要素が込められている。
それは、思わずユーザーが「自分でもやってみたい」と思えるワクワク感だ。

ゾイドは、全体的に「鑑賞して楽しむ」と同時に「自ら飛び込んでみたくなるスタイル」が採られている。
遠景モデルの「ザットンをウルトラザウルスに」「アイアンコングをウルトラザウルスに」というような、あっと言わせるアイデア。
これらを見ていると、じゃあこんな事も出来るのでは!? と自分でも作ってみたくなる/考えてみたくなる。そんな衝動が起こってくる。

ゾイドのジオラマはワクワクにあふれている。
模型的な完成度と、思わずやってみたくなるワクワク。その両方がバランス良く存在し、魅力的なゾイドワールドを構築している。
世界観も、極一部の特殊なものを除いて量産機ばかりだ。決戦機であっても変わらない。戦場は膨大だ。その事も、世界観に自ら飛び込んで見たくなる要素だと思う。

さて、今回はそんなジオラマやゾイドの世界観について、いつもとは少し違った角度から体感してみたい。

 

ゾイドバトルストーリーは、
・ゾイド星の退役軍人R・S・トーマスが著した書籍であり
・宇宙言語学者ヘーゼルハーストによって各惑星言語に翻訳され
・そうして、銀河の各地に届けられた

と設定されている。このような経緯を経て、ゾイドバトルストーリーは地球まで届いているのだ。

これを知った時、なんて夢のある設定だろうと深く感動した。
星空を見上げた時、どれかがゾイド星かと思う。また、別のどれかは同じようにゾイドバトルストーリーを読んでいる星だと想像する。
初期のゾイドキットの箱には「ゾイドシリーズは、少年たちの宇宙への限りない憧れと科学する心を満たす組み立てキットです」と書かれている。
まさにその通り。ゾイドバトルストーリーの設定は素晴らしい。

そんなゾイドバトルストーリーの画面について、我々は普段、
・ゾイド星で戦争が行われている
・戦場カメラマンはそれを撮影している

つまり、目にしているのはそうした写真であると捉えていると思う。

今回は、この認識を少し変えて見てみたい。
・ゾイド星では戦争が行われている
・帝国や共和国では、主に子供に向けてゾイドの玩具を製造している

という風に。

  

例えば、我々の住む地球には新幹線がある。そしてそれを再現したプラレールという玩具がある。

子供には玩具が必須だ。そして、子供の玩具は人気のメカがモチーフに選ばれる事が多い。
これはどこでも同じだろう。ゾイド星にも、ゾイドを模した玩具はきっとあるだろう。

このように考えたら…、
・ゾイド星で製造されたゾイドの玩具は、惑星間貿易を通じて地球へ送られている。
・我々が手にしているゾイド・キットはそのようなものである…。

と考えられないだろうか。

このように考えると、ゾイド・キットを手に取る時のワクワク感がいっそう上昇する気がする。
ゾイド星で製造されたゾイド・キットだから、箱の中にはその空気が入っている…。
例えばこんな風に考えると、箱を開ける時にも何だかドキドキしてしまわないだろうか。

 

さて、先ほど「新幹線とプラレール」の例を出した。
実物と玩具には「よく再現はしてあるのだが、完全に再現しきれていない箇所もある」という差がどうしても発生してしまう。

ゾイド・キットの造形も、同じ事が言えるかもしれない。
「よく再現はしてあるけど、完全に再現しきれてはいない」
そんな風に、少しゆるい視点で捉えても面白いかもしれない。

再び新幹線を例に採る。
新幹線の玩具や模型は数え切れないくらいの種類がある。
その中には色んなものがあり、造形面でも差が多い。独自のアレンジを加えたものもある。

同じように…、
・ゾイド星ではゾイドの玩具がやっぱり人気。なので、複数の企業がゾイドの玩具を開発している。
・最大の大手かつ老舗はTOMY。最近になって勃興してきたのがKOTOBUKIYA。昔から細々と良いものを出すのがKABAYA。
・他にも、KAIYODOやAMADAなども作っている。

そんな風に考えてみても面白いと思う。

各社の造形にはそれぞれ差がある。
ゾイドというのは現役で戦っている最新鋭の兵器。なので、詳細な図面などは民間には流れにくい。これは当然だ。
なので各社は独自の調査によって大きさや造形を調べキットに落とし込む。そこで差が生まれる・・・・・・。こういう解釈もアリだと思う。

地球でも、同じような事がある。
戦時中に、日本では「ハワイ・マレー沖開戦」という戦意高揚映画が作られた。
海軍省の至上命令で製作された映画で、当時の最新鋭機や空母が多数登場している。
当然、本物の戦闘機や空母を使って撮影する事はできないのでミニチュアを駆使して製作された。
だが、その際に海軍省は「機密が漏れるから」という理由で資料を提供しなかったそうだ。
これではミニチュアが作れないではないか…。

「作れ」「資料提供はしない」「でもリアルで良いものにしろ」
という無茶苦茶な状況だった。
特撮スタッフは、わずかな提供写真に写った波の大きさから艦、飛行機、地形等の実寸を割り出し特撮セットを組み上げた。
その結果、本物にしか見えない見事な映画に仕上がった。
資料を提供しない海軍省も無茶だが、その状況で最高のものを作ってしまうスタッフには感服する。
まぁ、戦時中と言うのはそういうものなのだろう。

 

ゾイド星でも、最新兵器であるゾイドの詳細図面が玩具メーカーに提供される事はないだろう。
そこで、各メーカーは必死に独自の調査をして玩具を完成させている…。
各社のゾイドキットにはデザインに差がある。
「ゾイドには個体差がある」「運用期間が長いので、前期型・後期型といった差もある」「それゆえデザインに差がある」
各社の造形の差は、このようにして生まれる。このような考え方もアリだと思う。
ただ今回はそれとは別に、「ゾイドは統一されていてもキットに差は生まれる」と考えてみた。

 

さて、更に続ける。
今回の内容は、
・ゾイド星では戦争が行われている
・ゾイド星ではゾイドの玩具が作られている
・それらは惑星間貿易を通じて地球へ送られている

というものだ。
惑星間貿易では、玩具だけでなくゾイド星の戦争の様子も当然ながら伝えられているだろう。

だが、ゾイド星は地球から大きく離れた星だ。文化も違う部分がある。ありのままを伝えたのでは地球人には理解しにくい部分もある。
そこで、
・地球人が理解しやすいような形に、本質を誤らない範囲を保った上でアレンジしたものがゾイドバトルストーリーであり、
・そこに使われる写真も、ゾイド星から写真を持ち出す事は叶わなかったので、地球に輸出されたゾイド玩具を使ってジオラマを作って”再現”している

と考える事もできると思った。

このように考えると、劇中の写真がたまに「?」な事になっているのにも納得ができる。
・遠景モデルは必ずしも完璧な縮小モデルになっていない。それはワクワク感を刺激する一方で、「戦場写真」とするならおかしな事だ。
・たまにキャップを付け忘れているシーンがあったりする。有名なのはウルトラザウルスVSデスザウラーの一戦だろうか…。

このような事も、地球で「再現」されていると思えば全て説明ができる。

 

そのように、
・ゾイド星で戦争が行われているのは確かである。しかし…、
・地球の我々に伝わるまでに様々な段階を経ているので、
・実際とは異なる部分もありながら伝わっている

最初期の頃のゾイド・ストーリーは、「ゾイド・ゾーン」と呼ばれる星域(ゾイド・ゾーン太陽系)で行われる戦いとされていた。
それが、いつの間にかゾイド星という「個」の星の物語になった。
ゾイドコンセプトアートを見ていると、ゾイド・ゾーンの星域を巡る戦いに多少回帰したのかなと思える部分もある。
ゾイドコンセプトアートは、従来のストーリーを知っているとギョッとするような要素もある。
それを見て「?」となる事は多いが、今回のコラムのように考えてみたらいいのかもしれない。

ゾイド星から伝わる中で、どのような過程を経ているのか。
そのような考察をしながら研究をしてみると、更にゾイド・ワールドは無限の深みを出すと思う。

もちろん、捉え方は様々あっていい。
この捉え方が良い・正しいというわけじゃなく、アプローチの方法というのは無限にある。
色んな方向性で楽み、無限に魅力を体感したい。これが重要だと思う。
そんなわけで、今日も本棚に手を伸ばしてしまう。

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