共和国の強化タイプゾイドの目的について

今回のコラムでは、ゾイドの個体差について考えてみたい。
要は、ゴジュラスというゾイドは量産されているわけだが、その全機は同じ寸法であるか否かというような事だ。

こちらのコラムの後半で、トビー・ダンカンのデスザウラーは大型だったのではないか というような妄想をした。
さて大きさに個体差があるとすれば、やや大きなデスザウラー、普通サイズのデスザウラー、やや小さなデスザウラーなどが居るという事になる。


「こうした大きさの差、個体差はあるのか」という事に対して、以前は「ゾイドと言っても工業製品なのだから、全て規格化されているだろう」という考えをしていた。
つまり「差はない」という考え。
規格化によって部品の互換性も生まれるし、生産性も大きく増すだろう。
当然、ゾイドだから個体差というものはあろう。だが、それは内包するパワー値や性格の差であると考えていた。

…なのだが、最近は「あってもいいのかな」という位に考えるように変化した。
これは「考察した」というより、単純に感情として「それでもいいかな」と思ったからという段階であるのだが。

 

大きさに差があっても良いのかなと思うようになったのは、最近リリースされた二つのシールドライガーが原因だ。
ThreeZeroのシールドライガーと、マスターピースのシールドライガー。


両者共に設定上は1/72でありながら、本家キットより明らかに大きい。

シールドライガーの他にも同様の例はある。
MSSのハンマーロックも大きかった。Hiユニット級に近い位の寸がある。
HMMの多くの機も、大きくなってる。特にゴジュラスが顕著だった。

近年にリリースされるキットは大型化しがちだ。
これらの影響を受けて、あってもいいのかなと思うように変化したというわけだ。

これらの従来とは大きさの違うキットは、すべて造形として魅力的だ。
なので出来れば肯定的に捉えたいなあと思う。
大きさの差という個体差がもいいかなと思ったのは、こんな所が理由だ。

 

あとは、幾つかの書籍の影響もあるかもしれない。
特に、「コンセプトアート」の影響は大きいかもしれない。あの世界観だと、個体差が極端にあったように感じた。

もう一つ、外伝的なストーリーではあるが「ゾイドジェネレーションズ」に登場する「ライガーブルーソウガ」の影響もあるかもしれない。

作中に登場するソウガは通常サイズよりやや小柄なライガーゼロという設定だ。

 

このようなものを見ている内に、大きさに差があるというのも面白い見方だなあ…という思いが強くなった。
ただ一方で、従来から考えていた「規格化によって部品の互換性も生まれるし、生産性も大きく増すだろう」という部分もその通りだと思う。
戦争なんだから生産や整備は超超重要だ。
生物=個体差があるという事は軽視してはいけないが、やはり兵器として工業製品的に捕らえる事も重要だと思う。

以下は、その辺りでも整合性をとるべく考えてみたい。
この問題を考えた時に、「ゾイドを工業製品として捉えたとしても、大きさに差がある事は不可能ではない」という結論に達した。
無論、個体差を許容すると生産性やメンテナンスの面で諸々の問題を抱える事にはなる。
だが、100体居たら100の差ががあるという極端なものではなく、大雑把に「S」「M」「L」位の差があると考えてもいいのかなと思った。

我々が着ている服と同じだ。製品としての統一は必要だけども、個人差が大きいのである程度の区分は必要。
また、それに加えて規格外のサイズを作る場合も時にはある。

また、
「共和国はゾイド本来の力を活かす設計を得意とする」「帝国はゾイドを制御して統一する傾向が強い」
という設定もある。
なので、共和国ゾイドには「S型」と「L型」の差が大きく、逆に帝国機は少ない(あるいは、種によっては全くない)と考えても面白いかもしれない。

「S」「M」「L」大きさに差があるが、武器やコックピット等の装備については程度は互換性がある。何故なら、それらは外付け装備であり載せれば良いだけだからだ。
といっても、中には大きさが違えば共通化できない物もある(各部の大きさにピッタリ合わせて造った装備など)。
だから、完全な同サイズにする事に比べれば多少の難はある。
それでも、「個体差を活かす=より活躍しやすくなる」「完全ではないができる限りの互換性も保たれている」というバランスになった。

このように考えると、工業化と個体差を同時にクリアできると思った。
大ざっぱに大型な個体はL型の仕上げに。標準個体はM型に。小型個体はS型に。互換性はある程度はある。
個体差を許容しつつ工業化も同時クリア。なかなか良い着地点だと思う。

 

捕捉。
先に「共和国ゾイドには「S型」と「L型」の差が大きく、逆に帝国機は少ない(あるいは、種によっては全くない)と考えても面白い」と書いた。
この通りだとすると、帝国側の方が「生産効率で上回る」事になる。個体差が少ない(あるいはない)ので、使いまわせる部品がそれだけ多くなる。
もしかすると、物量差を乗り越えて善戦した帝国軍の秘密がここにあった…、というか、言い換えてみれば「共和国軍は国力があるので余裕があって個体差を許容した」けども、「帝国軍は国力の低さから個体差を減らして均一を図らねばならなかった」のかもしれない。

初期においてゾイドワールドでは共和国=善、帝国=悪という展開が行われていた。その際に、根拠とされたものの一つがゾイドへの扱いだった。
「帝国はゾイドを兵器としてしか見ていないので、ゾイドを活かさず制御しているのだ」のように書かれているものがある。
この事も、別に帝国側の思考が悪人的なわけではなく、全て国力に由来するものだったのだ…と考えたりしたら良いと思った。

という事で、個体差を考えてみた。
この考えの元で、色々なキットを並べて同一世界として遊んでみるのも面白いと思う。

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