模型誌の中のゾイド_ホビージャパン1986

さて、メカ生体ゾイドを「前期」「中期」「後期」に分けるなら、「第一次中央大陸戦争」「第二次中央大陸戦争」「大陸間戦争」に分ける事に異論はないと思う。
前期は1983~1986、
中期は1987~1988、
後期は1989~終了まで。

資料を集めていると、それぞれの期間にそれぞれの面白さがあると感じる。
例えば、中期は絶頂期だから、ページ数が充実し、とにかく「豪華」なのが特徴だ。
そして絶頂期は、世界観がとても安定している。

対し、初期のものは世界観がまだまだあやふやだ。
しかし、それゆえに面白さがある。
初期のゾイドはSF色が非常に濃かった。それが、だんだんとミリタリーな世界観へ移ってゆく。
初期の資料は、その過渡期ゆえの面白さがある。

後期の資料もまた面白い。
この時期は、ゾイドの人気が下降した時期だ。
テコ入れとして、ゾイドには様々な新要素が試された。
つまり、世界観が再び変化しはじめた時期なのだ。
やはり、それゆえの面白さがある。

と、そんな風に資料を見てみるのも面白い。
私は個人的には絶頂期のミリタリー感満載のリアル・ゾイドの世界観が好きだが、前期や後期の試行錯誤している感じもとても面白いと思う。

さて、今日はそんな資料の中で、「初期」の資料を一つ紹介したい。
なかなか独特の世界観を持つゾイド記事で、初期ならではの記事だと思う。
中期以降のミリタリー感に固まったゾイドでは想像もできないような記事だ。

それは、模型誌ホビージャパンに掲載された。
1986年12月号。

この号には、このようにゾイド記事が載っている。
当時のホビージャパンは、ゾイドを定期連載していたわけではない。これは「単発でゾイドが載った」というだけの記事だ。
そしてその内容も、公式ストーリーではなく「ゾイドの世界観を体感しながらも、独自解釈でオリジナルストーリーを作ってみた」という趣が強い。

まぁ、とにかく紹介してみたい。なかなか興味深い記事だと思う。

闇…から光へ。
波。波が動く。一雫のぬらぬらとした液体。
とくん、とくん。一瞬の閃光。脈動。振動。脈うつ。
それは…。

ココハドコダ

主観的時間。
陽光と草いきれと大地のぬくもりの記憶。
そのとき…………
そのとき私は、周囲の静寂に気付く。腐敗と、汚穢にみちた匂い。ぬるぬるとした液体は、廃油。
空は暗い。星と………

月ハナイ

客観的時間。
存在しなくなった3つの月。
私は周囲を見た。そして自分の体を見た。
錆と、廃油と、形容しがたい何ものかで包まれ、腐っているボロボロの鉄板の山。
その中で眠っていた赤茶けた四肢を私は動かす。
“時間”という名のかけらが体から離れ、地面に落ち赤茶けた埃を舞わせる。
手指のすきまから、または頬の上からそれはこぼれ落ちる。
時間の流れの厚さを私は知る。

死んでいた時間は、永遠の長さだ。

月ハ…ナイ…

空はレッドホーンの外皮の色。
黒ずんだ錆の色、星の光も、死んだ仲間の目の光と同じ。
弱々しく、闇のヴェールを通して、ちかちかとまたたく。
墓場だった。そこは、途轍もなく大きく、見渡す限り、地平線まで果てしない錆の山。

私の知っていたなじみ深い世界は、悪夢へと姿を変えてしまった。
足元で何かがもぞもぞと動く。蟲だ。みにくくねじまがった、異様な肢体を持ち、ヨタヨタと這い回っている。
私は嫌悪感からその蟲を押しつぶした。

変形した蟲、空に棲む妙な怪鳥…その他に生命を持つものはないなかった。
私は圧倒的な孤独感に襲われた。
かつて私を操ったヒトも、仲間も敵も、誰も居なかった。
私は呻いた。
そして私は自分の運命を求め、歩き始めた。

かつて、戦争があった。
この地で、我々は仲間と共に戦った。
しかしそれは自分のための戦いではなく、ヒトのための戦いだった。
しかし私は、その戦いの中から喜びを得ていた。
私と、私の乗り手。
私は乗り手のことを思い出す。
ちっぽけで、指の間にすら隠れてしまう乗り手。
私の中に暖かい感情がわきおこる。
彼はとても………いい奴なのだ。

しかしその乗り手も、もういない。

あれから何が起こったのだろうか?
私は終末の予兆を覚え、身震いした。
月は確かに3つあった。
なのに、今は、ない。

ワタシハ ナゼ メザメタノカ

夜が明けてゆく。暗赤色の夜の帳が、鮮やかな赤へと色を変えてゆく。
昔は、空の色もこんな色ではなかったような気がする。

 

私の眼のまわりが、廃油でじくじくする。
悲しみ。
私は時代に取り残されたゾイドなのだ。

私は錆の砂漠に足を踏み入れた。
砂漠もまた、果てがないように私の目の前に広がっていた。
空気は乾き、わずかにすっぱい匂いがする。

遠くから風に乗って音が聞こえてきた。
機械音だ。
私は首を回す。
地平線に砂煙が見える。それはどんどん大きくなる。

確認できた。
巨大な不恰好な機械の固まりだ。
その姿は、かつて乗り手が私に語ってくれた“ジャガーノート”という言葉を、私に想起させた。

私は一声高く吠えた。

それが何であろうとも、私は、私の相手たる物を見つけた。
もしくは私の運命を。

私は歩いた。
そのものは、全く進路をかえず、私のほうへ進んできた。
やっと気づいた事だが、回りに小さな機械たちをはべらしている。

その物の気を引くため、私はビーム砲を発射した。
錆の砂漠に閃光が走り、爆発し、錆が舞う。
だがその物はまったく何の変化も見せることなくつき進んでくる。
ふと私は体の中で冷たい感情を覚えた。

私が恐れたのは、その物の強さではなく、その全くの無関心さ、感情のなさである。
その物はゾイドのようでゾイドでなかった。

私はいらだち、なおもビーム砲をあびせた。
しかし、何の歯ごたえもなく、その物はつき進んでくる。
私はうろたえた。

ついにその物は、私の至近距離まで迫ってきた。
私はそいつの砲塔をひっつかんだ。
その物の動きが止まった。
はじめて、いらだたしげにモーターがうなるのを、私は聞いた。

しかし、つかんだ瞬間、私は知った。
この物は生きていない事を。
そして、私は、この物に対抗できない事を。
眠りは長く、私はボロボロだった。
時の流れが綺羅星のように私の前で踊った。

もうすぐ私は冷たい忘却の眠りに、再たび戻ることが出来る………

私は、ついに自分の運命に出会ったのだ。

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記事は以上。個人的にはとても好きな記事だったりする。
初期の頃のSF感たっぷりのゾイドの世界観を受け、そこから想像を膨らませた世界観だと思う。

1986年と言えば、あのウルトラザウルスが発売された年。まさにゾイドが絶頂期へ加速し、そして世界観をミリタリーへ固めていこうとしていた時期。
その時期に、ホビージャパンではSF色の濃いオリジナルゾイドストーリーを掲載していた。
しかも、その内容は「終末の刻」のタイトルで描かれるもの…。
なにか象徴的なものを感じてしまう。

中期以降のゾイドでは、なかなか考えられないような記事だ。だが、個人的には改めて好きな記事として印象深い。
初期の資料を見ていると、このような「自由な」「自己解釈の」ゾイドが多くあって楽しい。
絶頂期のゾイドは一番好きだけども、こういう安定していない時期もとにかく面白いものだ。

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