閃光師団と懲罰部隊

機獣新世紀ゾイドで大きな印象を残した共和国部隊の一つが「閃光師団(レイフォース)」だと思う。
ライガーゼロ中心に構成された超エース部隊。暗黒大陸での戦いで大活躍をした。
「超エースが最精鋭機を駆って敵陣に切り込み鮮やかな勝利を得る」という、まさしくヒーローといった部隊だった。

登場したのは公式ファンブックでいうと3巻。

同じ高速ゾイドのセイバータイガーを赤子のように一ひねりし、重パワーのエレファンダーにも快勝。
換装…、CASを生かしてあらゆる戦況に対応してまさに大活躍をみせた。

私は正直に言うとリアルタイム当時は燃えなかった。
そんなヒーローじゃなくて、もっと地味で泥臭くて、でもだからこそ魅力的な描写が欲しいんだよなぁ……と思って馴染めなかった記憶がある。
ライガー押しが露骨とも感じていた。
その頃からゾイドと距離を置いてしまった時期があった。(詳しくは私とゾイドを参照されたい)
なのでリアルタイム当時は、閃光師団についてあまり詳しくは知らなかった。
「ライガーゼロの完成と共に誕生したエースヒーロー部隊」位の認識だった。

しかし何年かしてゾイドに戻ってきて、離れていた時期のストーリーを把握した。
さてゾイドに戻ってきた私は閃光師団のその後を知ってとても驚いた。

え…、閃光師団って懲罰部隊になっていたの……!?

今回はこれについて思った事を書きたい。
これは「ライガーゼロフェニックス」付属のストーリーで記されている。

この扱いは考える必要があると思う。
閃光師団は「暗黒大陸での戦いにてヴォルフ・ムーロアを取り逃がした事からその責を問われ懲罰部隊になった」とされている。
しかしそんな事をしていいのだろうか? と強く思う。

戦争とは総力戦。そこで重要なのは個々の技量よりも作戦だ。
作戦とは手持ちの戦力でどうすれば勝てるか・目的を達するかを考えることだ。
例えば自軍には100の部隊がある。内訳は小型歩兵部隊50、高速部隊20、大型重戦闘部隊10、火力支援部隊10、飛行部隊10とする。
これをどう動かせば最大限に良い結果が生めるか。
大局的な視野を持って「目的を達する為に部隊をどう動かすか」を考え指示することが重要だ。

それによって勝敗が決まる。良い作戦を使えば戦力差を覆して勝つことができたり、被害が少なくなったりする。
作戦がダメだと戦力で上回りながら負けることもある。
戦いでは不測の事態も多々起こる。そうした想定も行い、「こうなればこうする」というような対策を考えておくことも重要だ。
そうして入念な作戦を考えてこそ目的を達することができる。
部隊や各機体というのはその作戦の上に存在するコマでしかない。
作戦とは戦略であり実働部隊は戦術。戦術は戦略の指示によって動く。それ以上であってはならない。

では作戦が失敗したら誰の責任か。
作戦を立てた司令官なのか実際に戦ったコマなのか。
これはもう明らかに前者だ。

 

作戦の通りに動いたコマが責任を取らされるなんてあってはならない。
作戦失敗、それは目標を達する為の戦い(作戦)を組み立てられなかった上が悪いのだ。
あの戦いで責任を取るべき者がいるとすればそれは作戦を立てた者ではないのだろうか。
閃光師団がヴォルフ・ムーロアを取り逃がした。それは作戦としてそれを想定できていなかった上が悪い。

そうでなければ兵士は戦うなどできない。
ロクでもない作戦のもと出撃し、負けたらその責まで負わされるのか?

もちろん閃光師団パイロット、レイ・グレックは重大な命令違反をした。
バーサークフューラー(ヴォルフ・ムーロア)を追えという命令を無視して味方救助の為に戻る違反を犯した。
ただしこれは閃光師団ではなくレイの問題だと思う。
彼個人が軍法会議にかけられ懲罰部隊に編入されて・・・・・というものならともかく、部隊全体が懲罰部隊へ降格になったのはちょとどうかなぁと思ってしまう。
あるいは隊長は責を問われるかもしれない。それにしたって最大でもその2名だろう。他の隊員まで責を取らされるのは違う。

これで軍隊が保てるのだろうか?
前線の兵士は命をかけている。だから目覚しい活躍をすれば称える。失敗した時には度合いに応じて叱咤はすれどそこ止まり。責任を取るのは上。
こうでなければ兵になる者はおらぬ。

この懲罰部隊降格という措置が実際に行われたものであり、軍そして国民がそれを納得しているなら凄い事だよなぁ……と思ってしまうのだが、どうなのだろう。
実際に共和国の上の判断で「責任は閃光師団の兵にあり。責任とらせて懲罰部隊にすべし」にしたのなら何というブラックな集団なのだろうと思ってしまう……。

 

これは会社に置き換えると分かりやすいだろう。
社員…たとえば営業マンは会社の方針によって担当地区を決められ出向する。
そこで営業マンが全力をもって成果を挙げようとするのは当然。
結果が伴わなかったとすれば、それは営業マンの技量の問題でもある……のだが、もっと根本的な問題が会社にある。
それは「この地区はそもそも勝算のある地区だったのか?」を会社がどれだけ考えたかということだ。
仮に勝算があったとして「その地区の攻略難度と彼の営業スキルを正しく把握していれば、もっと高スキルの者を派遣すべきだったのではないか」ということでもある。
結局のところ上手くいかなかった・その結果として会社の運営が悪化したとすれば根本には会社の作戦が悪いのだ。
無茶をやらせて社員にばかり責を取らせる会社をブラック企業と言う。

もう一つ例を出すと、例えばラーメンチェーンだと店長が美味しいラーメンを調理しようとするのは当然だ。
ただ不味くて店が潰れたなら店長のせいではなくて根本はもっと旨いレシピを用意できなかった本部の責任である。
店長はチェーン店のレシピを守ってその中で最大限に旨いラーメンを作る事はできるけどそれ以上の事はできない。してもいけない。
また調理に対して店長のスキルが足りないというのなら良い研修を設けていない・あるいはチェーンなのに技量を重視しすぎるシステムが悪いのだ。

まぁ実際の会社とはブラックな所が多すぎて現代日本を生きていると感覚がマヒしてしまうのだが……。
ブラック会社は失敗したら会社側の責は無視して個人を責める。本来はそんな風にしてはいけない筈なのだが自分たちのミスには触れずに現場にばかり責任を負わせる。
優秀な会社は失敗した場合のカバーもあらかじめ想定しているので、失敗したとして致命的になることは少ない。

ブラック企業語りはこれ位で話を戻す。
そんなわけで閃光師団が懲罰部隊になるって……共和国軍って大丈夫なのか? って思ってしまってずっと引っかかっていた。
しかし以下のようなドラマがあったのかなあ とも思った。

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閃光師団の戦い。それはヴォルフ・ムーロアを取り逃がすという最悪の結果に終わった。
作戦失敗の責は作戦を指示した者にある。
だがレイ・グレックは命令違反という重要な責があった。また部隊長も彼を指導できていなかった点において責任があった。
よってこの二名を懲罰部隊に配置転換する措置が決定する。
この措置は妥当である。

しかし閃光師団隊員にとってレイの行為はまさしく恩であった。
部隊長はレイを叱咤する事はなく、彼の行為………自分や多くの部下の命を救った………に感謝をしながら懲罰部隊への転換を受け入れた。
そんなレイと部隊長の姿を見て、隊員達彼らだけを行かせるわけにはいかないと思った。

レイと部隊長が懲罰部隊に旅立つ日、その最後の別れの日に隊員達は一歩前に出る。
「俺達もついて行きますよ」
「なに、俺達は腕は確かだ。懲罰部隊の危険な任務でも俺達全員の技量があれば生き残れる筈ですぜ」
「そんでデカい戦果を上げてまた閃光師団として戻ってきましょうや」
隊員達は自らの決断で懲罰部隊への転換を申し出たのであった。
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……というような経緯があったのならいいなぁ……と思った。
このような、ある種の”美しい”ドラマがあったと考えるのはエゴなのかなぁ……とも思ってしまうのだが……。

ただ、そのようなものであるとやっぱり嬉しいと私は思う。

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