戦史研究について

設定設定とそればかりにこだわるのもどうかとは思うものの、やはりそれはとても大事なものだと思うので、追い続けたいと思っている。
だからといってあまりカタく考えすぎるのも、それはそれで良くないと思う。

ゾイドにとって、戦いの歴史というのは決して切り離せないものと思う。
だからその戦史をより研究し、把握したいと思う。

個人的には、メカ生体ゾイド期における戦史に深い魅力を感じている。
だからこの部分を中心に研究している…のだが、メカ生体ゾイドにおける戦史を研究していると、ある壁にぶつかる。

メカ生体ゾイドにおける公式ストーリーは様々なものがある。
ストーリーを最後、あるいは最終近くまで記したものだけでも「学年誌のストーリー」「ゾイドバトルストーリー」「箱裏のストーリー」「ゾイドグラフィックス」がある。
この多岐に渡る展開は、ゾイドがいかに人気があったかを示すものであろう。
これらは、歴史を最後まで、あるいは最終近くまで記したものなので、戦史研究においては欠かせない一級資料であると思う。

概して、初期の頃(ゴジュラスやアイアンコングが最強時代の頃)は、割と描写が大らかというか、細かくなかった。
ウルトラザウルスの就役頃から描写がどんどん細かくなり、D-DAY以降はこれでもかというほど具体的になっている。

さて戦史研究においての壁とは何かというと、これらの書籍の記述には差があり、矛盾する部分も多いという点である。
「ゼネバス帝国とへリック共和国が戦っている」とか「このゾイドの登場で戦況が大きく変わった」とか「暗黒軍は帝国との密約を破って帝国を吸収合併した」とか、大筋では共通しており矛盾が無い。ただ細部では違う部分も多い。

例えば、帝国滅亡時におけるゼネバス皇帝の最後を例にとると、
ゾイドバトルストーリーでは、密約を破った暗黒軍に対し、皇帝専用デスザウラーで最後の決戦を挑み敗北している。
ゾイドグラフィックスでは、アイアンコングMK-IIに乗ったゼネバス皇帝機は、暗黒軍の攻撃で大爆発を起こし海に沈んでいる。

セネバスつながりでもう一つ例を出すと、
ゾイドバトルストーリーでは、妻も子も無く孤独に苦しむ様子が描かれている。
ゾイドグラフィックスでは、一人娘のエレナという少女が登場する。

初期はともかく、ストーリーが具体性を帯びてくる中期以降はそういったものが徐々に増えてくる。
細かく全て列挙し検証していてはキリが無いものの、そういったものは多い。それらの中には、戦史を研究する上でかなり致命的な矛盾もあるように思える。
この矛盾の壁にぶち当たってしまう。

ただその上で、私はゾイドの矛盾を弱点だとは捕らえたくない。

率直に言って、整合性が取れていないのは落ち度ではあろう。ただ矛盾が起きたのは仕方の無い事だとも思う。
学年誌などの雑誌は特に、出来立てホヤホヤの最新ゾイドでストーリーを作る必要があるから、煮詰めるより早く提供する事になる。
新型というのはナマモノ。アピールする機を逸しては致命的だ。だからこそ急ぎ掲載した結果でもあるだろう。

メカ生体ゾイドの盛り上がりは凄かった。
それは細かい整合性を取るよりも、機を逃さず、然るべきタイミングで的確にアピールする事を選んだ結果だと思う。
とにかく多くの学年誌でストーリーを展開し、それらは無数のゾイドが多くの戦場で戦っている壮大さも魅せてくれた。
そうした動きは大正解だったと思う 。
そう考えると、様々な矛盾が起こっているとも言えるが、むしろ掲載速度を考えると、よくぞここまで整合性をとったなとも思える。

だから「弱点」ではなく別の捉え方をしたいと思う。逆に、「矛盾があるからこそ」というという捉え方をしてはどうかと思う。
都合のいい捉え方かもしれないが…、以下のように考えたいと私は思う。

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さて日本人なら誰でも織田信長を知っていると思う。
小国の尾張の大名でしかなかった信長は、様々な経緯を経て天下統一へ突き進んでいった。
そんな信長を記した書物として有名なものに、「信長公記」「信長記」がある。
どちらも信長の生涯の記録となっているが、やはり矛盾が多い。

「信長公記」は信長に仕えた人物によって書かれており、比較的信憑性が高いとされている。
「信長記」は後の江戸時代になってから書かれたもので、歴史的な史実を書き出す価値よりも、むしろ読み物として面白さを求め、様々な脚色を加えながら書かれている。

信長公記が一部にしか広まらなかったのに対し、信長記は読み物としての面白さゆえに広く広まり、当時のベストセラーになった。
有名な「長篠の戦で信長は鉄砲隊で三段撃ち戦法を行い騎馬隊を一方的に破った」等は信長記における記述である。
この辺りも読み物として面白くする為に創作された部分で、史実では「三段撃ち戦法」というのが行われた可能性は限りなく低いらしい。
他にも兵の規模、装備、配置、戦況の推移などなど、数え切れない違いがある。

ただもちろん、どちらも信長の生涯を綴ったものではあるので、大筋では両者一致する。
例えば長篠の戦も、「当時としては異例の数の鉄砲が信長軍にあり、それを先進的な運用法で使用し、敵に痛撃を与えた」という「大筋」であれば一致する。

 

メカ生体ゾイドのストーリーは、数々の矛盾があり研究者を悩ませる。
ただ思うに、上の例の様なものだと思えば、解決するのではないかと思う。

例えば、ゼネバス帝国がガイロス皇帝率いる暗黒軍に裏切られた事や、ゼネバスの乗るゾイドが暗黒軍ゾイドに撃破された事は確かだろう。
しかしゼネバスの最後が、史実では「アイアンコングMK-IIに搭乗していた所を攻撃され海に落ちた」であったとして、民衆に伝えるには「皇帝専用デスザウラーで一騎打ちを挑んだ末に敗れた」とした方が面白い…、というように。
強く断っておくと、これはあくまで捉え方の例である。
どのストーリーが史実でどのストーリーが改定されたものかを決めようとしているのではなく、あくまで「こういう解釈も成り立つのではないか」という一例でしかない。

 

話を少し信長の書物に戻す。
先に信長公記は信憑性が高いと書いた。
それは確かだが、かといって100%正しいかというと、そんな事はない。
例えば「本能寺の変」にて信長が自害した部分で、作者はあたかも見ていたかのように克明に詳細に記している……が、実は作者はその場に居なかった。
つまりその部分に限れば、信憑性が高いとされる信長公記もまた、創作が含まれているという事だろう。
…というか、敵の大軍に囲まれる本能寺の中で悠長に詳細を記録するなど不可能だろう。致し方あるまい。

ゾイドの戦史とされる記録には多くの矛盾がある。
ただ私は、そういったものを見つけたら矛盾している点を嘆くより、より深く考え、どちらの資料にどの程度の信憑性があるのかとか、両者を照らし合わせて本当の歴史的事実は何だったのかを考えたりするのが良いと思う。
確実に正しいであろう部分で言えば、かの星では50年以上の長きにわたり戦争が続いている。
常に混乱期にあったわけで、そう考えるとそういった時期に書かれた記録には、矛盾が生じる事の方が自然な気がする。
そうやって頭を柔らかくすれば、見えてくる新しいゾイドの戦場がきっとある事と思う。

もう一度だけ信長記と信長公記の話に戻る。
多くの歴史研究家が存在し、真実を求めている。
その際、真実を解き明かすためには、もちろん信長記と信長公記以外の資料も使用される。
当時の記録はもちろんこの二冊だけではない。
同時代を記した多くの記録と照らし合わせれば、更なる矛盾点がまた出てくるだろうし、また見えてくる真実がある。

ゾイドにもまた、最初に書いた代表的な記録以外にも、幾つかの資料が存在する。
「HISTORY OF ZOIDS」や「戦闘機械獣のすべて」は、初期の頃のみではあるが、貴重な記録が多数掲載されている。
記録映像のゾイドバトルビデオもあるし、HOBBY JAPANから発刊されていた「MARK.1」という雑誌には、アイアンコング就役前後のストーリーが掲載されていたりする。
「デザインの現場」「SFハイパーホビー」といった書籍にも、貴重な資料の数々が記されている。
また、もしかしたら、当時のイベントでのみ提示された資料があるかもしれない…。

様々な資料を見て、自由な発想でゾイド戦史を研究する人が多く出れば良いなと思う。
ただし資料は出来るだけ多く必要になってくるとは思う。Zoids Ignitionはその資料提供のための力になれればと思っている。

そして結論は各人がおのおの出してゆけば良いと思う。
ゾイドの世界はそれを受け入れるだけの器を持っていると思う。
そして、そうやって互いが感じた世界を議論したり、互いの論を尊重した上でぶつけ合えればとても良いなと思っている。

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