ゼネバス帝国の奇跡

ZAC2044年、ゼネバス帝国はついに共和国首都を占領し、勝利を得た。それはまさに奇跡的な出来事だったと思う。

国力差を覆した事ではない。
もちろん、それも凄い事ではある。ただ、もっと別の視点で見て奇跡だと思う。
ゾイドという子供向けメディアの展開において「帝国が勝利した」事が、何よりの奇跡だと思う。

何故ならば、帝国はその初期において悪役・敵側とされていた。

 

メカ生体ゾイドは壮大なストーリーを持っている。
しかしながらそのストーリーはゾイドの人気と共に変化を経験しており、初期・中期・後期で雰囲気が変わっているように感じる。

極初期においては、「ゾイド星にはメカ生体“ゾイド”が存在し、星人はゾイドを戦闘用に改造している」という程度のストーリーがあったが、どちらかというとこれは
ストーリーと言うより世界設定と言うべきだろう。
本格的なストーリーと呼べるものが始まったのは、84年後半に登場した、レッドホーンを筆頭とした新たなる軍・帝国ゾイドの発売によってだろう。
この時期のストーリーを初期と呼びたいと思う。

初期における設定は、今では「無かった事」にされているか「都合の良い解釈」に置き換えられているものも多い。
ただ少なくともこの時期、「共和国=善」「帝国=悪」であった。
共和国の「善」はそれほど強調されてはいなかった。
しかしながら帝国の「悪」はとにかく強烈に描かれていた。

例えば初期における資料では「帝国は貴族・奴隷制度を採用している」とされているものがあるし、もっと言うと「何となく敵っぽい描写が多い」といった風ではなく、
明確に「悪」と記載されているものさえある。


これは「小学一年生」の86年7月号。

さて、ともかく初期における描写は「共和国=善」「帝国=悪」であった。

中期の線引きをするタイミングは難しいが、ゼネバス皇帝が暗黒大陸への脱出を図った時期、あるいはD-DAY上陸作戦が行われた時期からではないかと思う。
この頃からゾイドの描写には「帝国=悪」の雰囲気が極めて薄まった。
まだ何となく帝国が悪者っぽく描かれる事はあったものの、基本的には中立的な描き方がされるようになっていった。
ゾイドバトルストーリーが発刊された時期でもある。


学年誌等でも、共和国だけでなく、両国のパイロットがたびたび描かれるようになった。
また、この時期、小一と小三にゾイドの漫画が連載されたことがあった。
小一のものは「すすめゴジュラス」という共和国視点の漫画で、小三のものは帝国コマンドのフランツを主役にした漫画だった。
この点も、中立になった証ではないだろうか。
言うなれば「正義の共和国を応援しよう! だった初期から、真面目な共和国とちょっと不良の帝国、さぁ君はどっちを応援する!?な感じの中期に移った」と言うと
シックリ来るのではないかと思う。

後期は、デッド・ボーダー登場以降…、つまり暗黒軍の参戦以降と思う。
この時期、描写は再び「共和国=善」「暗黒=悪」という、ある意味で先祖帰りをしたような描写に戻る。
しかし一段と強調され、共和国は常に勇気ある善の軍であり、暗黒は冷酷で勝つためには手段を選ばない非道という描かれ方が続いた。
また、逆に「どんな手を使ってでも倒さねばならない」「倒す事は正義である」となった。


この画像は共に「小学二年生」 左は89年4月号。右は89年5月号。
左は「悪の心を持つ暗黒ゾイドどもよ、お前達は自分たちの国へ帰れ!」とある。
右は「ブラック・コングよ、死ね!」とあり、さすがにストレートすぎやしないかいと思うが……。

 

学年誌に掲載されたストーリーを研究すると、興味深い事実があるように感じる。

初期においては、ストーリーはほぼ全て共和国視点になっている。
しかし中期においては、帝国側視点と共和国側視点が半々、あるいはやや共和国側視点が多い程度になった。
後期は、ほぼ全て共和国側の視点に戻っている。

中期における描写の例を挙げてみよう。
デスザウラーの進撃は、「強力なゾイドに乗って攻める帝国軍」といった勇ましい描き方だった。

しかし後期になると変わる。
デッド・ボーダーの猛攻は、「強力なゾイドに乗って攻める暗黒軍」ではなく、あくまで「敵の強力なゾイドに苦戦しつつも勇敢に戦う共和国軍」という視点になった。

 

ゾイドはそのデザインと世界観で圧倒的だと思う。
ただストーリーに関して言えば、上記のように一貫性はそこまでは無いと思う。

ただ、私はそれを批判的に捕らえようとは思わない。

少年向けメディアであり、なおかつ戦闘描写のあるストーリーを持つ以上、そこに善と悪があるのは必然だと思う。
そして善は常に勝利を得るべき存在でもある。
強力な…、時に自身以上の力を持った敵に果敢に立ち向かい、そして苦闘の末最後には勝利を得るのが宿命でもある。

初期ゾイドにこの構図はピッタリと当てはまる。
最新テクノロジーを搭載したレッドホーンやアイアンコング、初の高速ゾイド・サーベルタイガーは、共和国ゾイドを大いに苦しめた。
(レッドホーンに関してはその限りではなかったような気もするが…)
結局、共和国はゴジュラスを前面に押し出し猛攻を何とか凌ぎ、その裏でウルトラザウルスを開発。勝利を得た。

しかしながらゾイドはバトルストーリー、すなわち「戦争」を描いたものであり、「善」と「悪」を分ける構図は、破綻も内包してしまう。
それは「正しい戦争」という誤解を与えかねない。
「聖戦」
戦争を描く以上、避けて通るべきだと思う。

ゾイドは、中期において見事にその問題を解消した。
先に書いたように、描き方は中立の立場を得た。
帝国も共和国も、どちらが悪でどちらが善でも無くなった。強いて言うならどちらも悪でどちらも善であった。

まだ何となく帝国=悪という雰囲気はあった。
ただそれは、少年向けであった以上、限界だったのだと思う。
むしろここまで中立であろうとした事は、今にして見直すと本当に賞賛されるべきと思う。

以前は「悪」の描き方をされた帝国は、共和国首都を陥落させるという完全勝利、善と悪が明確にあるストーリーでは絶対に描けない展開を見せた。

この点は明確に「進化」として良いと思う。
正直、子供向けメディアとしては善と悪を分けた方が描きやすいし、分かりやすい人気が出ると思う。
しかしあえて難しい中立視点を描き、「戦争をテーマにする上で非常に大切なもの」に、正面から向かい描いたこと、そして人気を得た事は偉業だと思う。

 

個人的に、それを支えたのは帝国のデザインだと思う。
帝国ゾイドは共和国ゾイドに比べ、丸みを持った未来的なフォルムをしている。
このデザインの意図などは、雑誌「デザインの現場」1984年10月号、トミー特集号などに詳しい。

素朴なデザインは「身近さ」を感じさせるから、とても親しみやすい。それゆえ味方のデザインとして採用される事が多い。
対し、シンプルで丸みを持ったデザインは「未来さ」を感じさせる。格好いいのは確かだが、親しみ度は低い。
高度なテクノロジーを感じさせるからこそ「未知」であり、ある種「怖い」感じもする。
それゆえ敵のデザインとして採用される事が多い。
(※この説明は80年代前半であるから成り立つものでもある)

しかしそうして作られた、帝国ゾイドのデザインはあまりにも魅力的過ぎた。
確かに、敵側としてデザインされたものだから、悪役然としたデザインではあった。
目つきが極めて鋭いものが多く、優しい感じの共和国ゾイドとは正反対の表情だった。
ただ、怖い反面、何とも言えず頼もしくもあった。それは怖いけれど、憧れを抱かせるものに成り得た。

帝国ゾイドのデザインはその力を確かに持っていた。
だからこそ、最初は悪として在ったにも関わらず、中期において昇華出来たのだと思う。
それは奇跡と言って良いと思う。

ゾイドの他にも、圧倒的な数の、「戦争」を題材にした少年向けメディアが存在する。
それらにおいて、ゾイドのような奇跡を起こせたものは、極々珍しい部類だと思う。

 

一応の主人公側がありつつも、絶対的ではなく、双方にそれぞれの魅力があるというのは、とても強いと思う。
非常に深く飽きが来ない。

帝国軍は敵・悪として生まれた。
しかしながら、それがかくも昇華できた事は、本当に奇跡以外の何でも無いと思う。

 

今、新たなメディアで同じような事をしようとしてもなかなか難しいと思う。
最初から「双方善であり悪である」と謡った作品は確かに増えた。
というか、「絶対的な悪VS絶対的な正義」という作品事態が減った。

ただ、それゆえに、強烈なヒールさを持ったキャラもまた、減ったように感じる。
帝国軍は確かに中期以降、共和国と対等なポジションを得た。だが、「恐怖」のイメージはいまだ健在だった。
それは、初期において本当に真の悪役を目指していたからだと思う。

 

それが後期になり、何故かまた初期のように…、というか初期以上に絶対的な善と悪の構図に戻った事は、何故だろう。
今にして思うと何と、とても残念なように思える。
ただ中期ゾイドのように、再び巻き返すことも不可能ではなかったと思う。

デッド・ボーダーやヘル・ディガンナー級のデザインが続けば、あるいは不可能ではなかったと思う。
しかし実際はジーク・ドーベルやガル・タイガーのようなデザイン衰退を経て、ゾイドは勢いを急速に失っていった。

それを悔しく、とても残念に思う。
ただ、ゼネバス帝国のデザインが起こした奇跡は紛れも無いものだと思うし、そう在れたメカ生体ゾイドが素晴らしいものだったというのは、ゆるぎない事実だと思う。

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